千利休縁の南宗寺で、歴史を味わう。
龍興山 南宗寺の特徴
堺を代表する臨済宗大徳寺派の禅寺で、歴史あるお寺です。
千利休に縁のある実相庵や供養塔が点在しています。
ボランティアガイドの丁寧な説明で、歴史の深みを体感できます。
お寺さんの中での写真撮影は禁止となっています。本当に家康様のお墓があり歴史の謎を感じますお寺さんです。
禅宗・臨済宗・大徳寺派の寺で住職は老師の資格を持った吹毛軒老師です。枯山水の庭がありいつも水紋が綺麗に描かれています。また茶道 表千家・裏千家の歴代宗尚の供養塔があり、見どころは沢山です。
南宗寺は、臨済宗大徳寺派の禅寺で、戦国時代、 堺を支配 した武将、 三好長慶が父元長の霊を弔うため弘治3年(1557) に大林宗套を迎え、今日の宿院あたりに寺を開きました。 その 後大坂夏の陣 (1615) にて他の寺院とともに焼失しましたが、 当時の住職澤庵によって現在地に再建されました。 境内には茶道を完成させた千利休や師武野紹鷗の供養塔などがあります。 また国名勝の枯山水の庭 八方睨みの龍の描かれた仏殿、山門・唐門は国の重要文化財に指定されています。
徳川家康のお墓や千利休に縁があるお寺。堺観光では主なスポットの1つ。ボランティアガイドさんと回って30分くらい。境内見学400円、撮影禁止が多い。八方龍が見所でした。
織田信長以前に天下統一(徳島から畿内平定)を成した三好長慶一族のお墓あり(三好長慶が父の菩提寺として創建)。また一説によると、徳川家康が大坂夏の陣にて槍で刺された後、当寺に運び込まれ亡くなったためお墓がある、という。二代秀忠、三代家光がいずれも当寺をお参りしていることから、夏の陣にて家康死亡説\u003d爾後約1年は身代り説、ということになったそうだ。真偽のほどは定かでないが、当寺と徳川家との関係は他には確認されていないことから、二代、三代がなぜ当寺に詣でるのか、なかなか興味深い。歴史家の中には大坂の陣での真田氏の大変な活躍と討ち死に対する喝采の意味でこうした伝説が生まれた可能性があるとのこと。面白いですね。土の壁は創建時のものが残っている。また「八方睨みの龍」も、本当にどの方角からみても、睨まれているように見えた。
堺にこんな歴史があったのかと思われる場所。ボランティアのおじさんが親切に、教えてくださいます。徳川家康の墓があります。大阪夏の陣は天王寺のほうが舞台かと思いきやそこからの徳川家康の話。また後藤又兵衛さんが徳川家康を切ったこと話されてました。又兵衛さんが出家された意味も少し分かりました。堺は千利休の出生地。供養塔がありました。あと八方睨みの龍さんにもご挨拶をとても優しいお顔されてます。是非ボランティアのおじさんに教わってください。
路面電車で行くととても素敵。ボランティアガイドさんがいらっしゃるので、ぜひお願いして欲しい。※神聖な場所なので撮影不可のエリアでは撮影してはなりません。
阪堺電車御陵前から徒歩5分。大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)に向かう途中にある古刹。境内には三好長慶、千利休やその一族の墓石があり、徳川家康にまつわる逸話が残る。ボランティアの方の巧みな解説で大いに楽しむことができた。
戦国時代の武将、三好長慶が父・元長の菩提を弔う為に建立した臨済宗大徳寺派の寺院堺は大坂の陣の際、徳川方の兵站地となっていたため、豊臣方の焼き討ちに遭い、その際、寺院も全焼しました現在残る仏殿・山門はその後再建されたもの、仏殿は府下に残る数少ない江戸初期の禅宗様建築です拝観料400円を支払うと、案内の方が仏殿内部を含め、境内を案内していただけます南宗寺には大阪の陣の際、徳川家康が後藤又兵衛に討たれ、密かに葬られたとの伝承があり、昭和になって家康の墓が建てられました。
名前 |
龍興山 南宗寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-232-1654 |
住所 |
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HP |
http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/bunkazai/bunkazai/shokai/bunya/meisyo/nanshujiteien.html |
評価 |
4.0 |
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堺を代表する禅宗寺院です。京都の大徳寺と繋がりが深く、今も修行僧の行き来が続いています。茶の湯を大成させた千家の墓もあります。徳川家とも繋がりがあるそうです。