西南戦争の歴史を感じて。
官軍上陸の地碑の特徴
日奈久温泉近くの海沿いにある官軍上陸の地碑を見学できる場所です。
熊本城救出のために博多から政府軍が上陸した歴史的な現場として知られています。
南側からの熊本城救援と薩摩藩との連絡遮断に関わった衝背軍の足跡を感じられます。
西南の役において薩軍の食糧基地がここ日奈久だったので、官軍はここから上陸し、艦砲射撃をあびせたとのことです。ここを落とした官軍は薩摩街道を北上し、熊本城に向けて行軍するわけです。碑文を書いた坂田道太氏は八代輩出の自民党衆議院議員で、第二次岸内閣で初入閣し、以後度々入閣した後、晩年衆院議長をなさった方です。
国内最期の反乱となった明治期の西南戦争の際,西郷隆盛率いる薩摩軍の勢力下にあった日奈久は食糧基地となったいたことから官軍の攻撃をうけることになった。日奈久沖から艦砲射撃が行われ,その後近くの海岸から上陸したという歴史的な場所でもあります。海岸に石碑があるだけですが,当時の光景に思いを馳せて散策するのも楽しいのではないかと感じています。現在は営業を為れていませんが,近くの旅館の柱には,当時の艦砲射撃の後が残っているそうです。
日奈久温泉に来た際、ふらっと海沿いに出てみたら見つけました。海岸の堤防沿いにひっそり建てられています。西南の役に関わる結構重要な地点だと思うので、もう少し目立つように整備しても良いのでは?この少し前に田原坂公園を訪れたばかりだったので、余計そう思います。
熊本城救援と薩摩藩を撹乱及び連絡等々を絶つ為に、ここへ官軍が上陸した模様です。朝鮮戦争で押されていた西側が取ったやり方と同じで、官軍の上陸を許した事により薩摩藩は形勢不利となり、あとは敗走に敗走を重ねて皆さんご承知のとおりです。地味過ぎるから、もう少し案内板を増やすなりなんなりやって欲しいところですが、南九州ではありふれた史跡ですから、価値が分からないのも分かりますし、難しいところですがね。
熊本城救出の為に博多に上陸した政府軍が田原坂周辺で足止めされていたため、南側から熊本城を救出することと、薩摩との連絡を断つ為に衝背軍を組織してここに上陸しました。今は石碑しかありません。
2020-10西郷隆盛の足跡を辿った2018年以来、2度目の訪問。西南戦争関連の地です日奈久の防波堤があり、小さな漁船が数隻停波していました。
| 名前 |
官軍上陸の地碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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観光案内所に車を駐車して徒歩で1分程の所でした。