高杉晋作と結ぶ加藤有隣。
筋違橋(加藤有隣邸/詠帰塾跡)の特徴
加藤有隣は山口明倫館の教授で、儒学者として知られています。
筋違橋は石州街道沿いの油川に架かる歴史深い橋です。
高杉晋作とも親交があった加藤有隣の足跡を感じられます。
石州街道の油川にかかる橋です。現在の橋は昭和26年(1951年)3月にできたものです。大内氏時代の有名な古地図にも描かれています。普段なにげなく通行している橋にも、いろいろな歴史があるんですね。
加藤有隣は、山口明倫館教授(号は櫻老)で、高杉晋作とも親交の深かった儒学者。都から落ち延びてきた三条実美の秘書をつとめ、湯田の井上公園に再現された「何遠亭」の名付け親ともなった。彼は筋違橋付近に住んでいたと伝えられ、私塾を開いていた。(『山口史蹟概覧』/「山口史蹟図」などを参考に記す)
| 名前 |
筋違橋(加藤有隣邸/詠帰塾跡) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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加藤有隣は、水戸藩の佐藤政祥の子として生まれました。加藤有隣は別名、加藤楼老(おうろう)であり、儒学者です。高杉らの推薦により長州藩から明倫館の教授として迎えられました。赤川直次郎の紹介で高杉晋作が、その時に初めて加藤有隣を知ったそうです。塾跡の面影は全く無いんですけど、橋が何かを訴えて来てる様な気がしてならないです。