寛弘寺45号墳で歴史を感じる。
寛弘寺45号墳(移築)の特徴
寛弘寺地区から移築された古墳建造物で歴史を感じる場所です。
寛弘寺45号墳は古代の文化遺産として貴重なスポットです。
美しい自然の中に位置し、静かなひとときを楽しめる場所です。
寛弘寺(かんこうじ)45号墳。よく石室の原型を留めているなと思ったら、別の場所から移設された横穴式石室とのこと。周囲は広場になっており、見学するにはお手軽な場所にある。このあたりは、梅や桜の名所としても知られている。以下、解説板より。「ここから南西約3kmのところにあった河南町寛弘寺古墳群から移築した横穴式石室です。天井石はすでに盗まれていましたが、側壁や奥壁などは、よく残っていました。石室の全長は9.7mで、平滑に仕上げた花崗岩の大型石材を積んだ巨石墳です。石材やその積み方から、7世紀前半に築造されたと思われますが、この時期では、わが国で最大級の横穴式石室です。また、石室の周囲には排水溝がめぐるという、珍しい構造をもっていました。」
| 名前 |
寛弘寺45号墳(移築) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
|
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寛弘寺地区から引っ越してきた古墳建造物。この日朝イチからの一須賀古墳J支群見学から始まって、K支群、K支群の先の稜線、稜線を南に下って平石城跡への遊歩道、その途中の竹藪しか見えないP支群、小山の頂上の平地だけど不思議とまったりとした雰囲気たっぷりの平石城跡、あべのハルカスやツイン21と思しきものが見えたような気がする展望台1号、生い茂る新緑で説明書きにある王陵の谷など全く見えなかった展望台2号、見ごたえあったE-1号墳のあるE支群、そこらじゅうにある丸い小山が実はすべて古墳だったというB支群、の順にうろつきまわった末、かなりヘロヘロになってたどりついたのがこのあたり。ふぅ、しんどかった~~。最初から、平坦な遊歩道の多いこちらを目指して歩き始めれば良かったのに、と今にして思う。行ったことのある寛弘寺古墳や金山古墳とどこが違うのか・・と理解できるよう、もう少し古墳というものを勉強してから出直して来ます。