幕末の人材育成、誠之館址。
福山藩「藩校誠之館」跡の特徴
幕末の人材育成を担った誠之館址の石碑が魅力です。
安政二年から明治五年にかけて存在していました。
福山市中央公園の歴史的なスポットとして訪れる価値があります。
スポンサードリンク
安政二年(1855年)~明治五年(1872年)までこの地にあった幕末激動期の人材育成に大きな役割を果たした。石碑 昭和十三年三月同窓会建立。
スポンサードリンク
| 名前 |
福山藩「藩校誠之館」跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
■誠之館址の碑福山市の中央公園にある石碑。備後福山藩の藩校「誠之館」が在ったと標した石碑。石碑は昭和13年 (1938) 5月建立1855年(安政2年)に開校1872年(明治5年)に廃校●誠之館 (せいしかん) は徳川幕府老中首座を務めた福山藩主阿部正弘によって作られた。校名は「中庸」から採ったと云う。石碑の右隣りには平成中期に現代標石を設けてあり、分かり易い説明文が讀める。題字「誠之館址」は当時の陸軍主計木村茂氏の筆による。址の地とされた公園には藩校時代の遺構は無いようだ。市のコミュニティセンター隣りに位置する良い場所に留め保全されたのだろう。当時の遺構である学堂の玄関部分が福山誠之館高校の敷地内に移築されて福山誠之館高等学校記念館となっている。昭和8年(1933)玄関部分と新築の主屋(しゅおく)を組み合わせ記念館として開館している。