岡豊町の歴史と共に、安眠の地を感じて。
岡豊忠霊塔の特徴
岡豊町忠霊塔は高さ9メートルを誇り、戦没者を追悼する場所です。
昭和34年に発行された岡豊村史に記載され、歴史的価値があります。
地元の戦死者数は137名で、日露戦争にも多くの犠牲者が出ました。
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ここで私が6才ぐらいの頃ここの大きな木でよく遊んでいました、とても懐かしい、
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| 名前 |
岡豊忠霊塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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名称・・岡豊(おこう)町忠霊塔(S29.8建立)高さ9m南国市岡豊町八幡(やはた)米ヶ内778所有者・・南国市管理者・・南国市岡豊町戦没者遺族会(岡豊町社会福祉協議会)建立総費用不明(戦没者数)137名、南国市史下巻では陸軍162名(日露15、第2次世界大戦147)海軍38名(第2次世界大戦)岡豊村史(岡豊村史編纂委員会:昭和34年9月30日発行)によれば、「日露戦争に多数の戦死者を出したので、岡豊公園の景勝の地を戦死墓地とし、明治42年7月村民総動員で石碑を引き上げて祖国に殉じた人々の安眠の地とした。シベリヤ出兵・満州事変から志那事変となり、更に太平洋戦争では戦は海に空に陸に激烈をきわめ、戦死者も又激増して英霊の帰還はきびす(※かかと)を接する(※人が切れ目なく続く。ものごとが次々と起こる。『ことわざ・慣用句の百科事典』財団法人ことわざ検定協会より)有様となった。岡豊村では昭和19年岡豊公園の墓地を廃止して八幡に忠霊塔を建立し・・以下略」と記されている。