橘逸勢の邸宅跡地で味わう。
橘逸勢邸址の特徴
平安時代に三筆と称される歴史的な人物の邸宅跡です。
橘逸勢が住んでいた蚊松殿の貴重な遺跡が残っています。
文化財としての価値が高い場所で、歴史を感じられます。
平安時代、橘逸勢(たちばなのはやなり)の邸宅「蚊松殿(はいまつでん)」の有ったところです。逸勢は奈良麻呂の孫で、書にすぐれ、宮城の額は たいてい逸勢が書いたといわれ、嵯峨天皇・空海とともに当時「三筆」といわれました。 後に「承和の変」に連座し、伊豆に流される途中、遠江国(とうとうみ)で憤死しました。朝廷は死後、その怨霊をおそれて 従四位下を追贈し、八所御霊の一つとして御霊神社に祀られました❗蚊松殿はその後 源師房の邸となりますが 怨霊のやどる家は永続きはせず、安元三年(1177年)の大火で 逸勢 社とともに焼亡したと言うことです。
橘逸勢 (たちばなのはやなり) は「三筆」のひとり。他に空海,嵯峨天皇。
名前 |
橘逸勢邸址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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平安時代に三筆と呼ばれる橘逸勢の邸宅があったところです。現在は、生活感のある民家の脇に石碑があるだけです。三筆の残りの2名は、嵯峨天皇と空海になります。