羽柴秀吉の旅宿跡歴史を感じる場所!
織田信長が上洛後の羽柴秀吉の旅宿跡です。本能寺の変の後もしばらくここに滞在したそうです。その他にもこの石碑の東は片桐且元の終焉の地のようです。
名前 |
織田信長時代此附近羽柴秀吉旅宿跡 |
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ジャンル |
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住所 |
〒604-8205 京都府京都市中京区新町通六角上る三条町342 |
評価 |
4.0 |
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新町六角交差点を北に行った東側の民家の前にあるのが「織田信長時代此附近羽柴秀吉旅宿跡」になります。「織田信長時代此附近羽柴秀吉旅宿跡」とあわせて片桐且元終焉地、松田政行邸跡なども刻まれています。訪問が12月でしたが置かれている植木の紅葉が綺麗でした。よく通る道で石碑も説明書きも以前はなかったと思う。説明書きを読み進んだ所、日付けが2022年6月となっていた。新しい発見が出来てた。羽柴秀吉は織田信長時代に京都の政務にかかわっており、その時の拠点としてこの地にあった伊藤与座衛門方を旅宿にしていました。本能寺の変後も伊藤与座衛門方を旅宿にしていたが妙顕寺城~二条城~聚楽第に居所を移しました。片桐且元は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で賤ヶ岳の七本槍の一人になります。豊臣家の直参家臣で、豊臣姓を許される。関ヶ原の戦い以降は家老として豊臣秀頼に仕えていました。大坂夏の陣から20日ほどした5月28日に片桐且元は、この地に寄宿して60歳で死亡した。松田政行は、豊臣政権では京都所司代前田玄以に仕える奉行であった。関ヶ原の戦い後は徳川の配下として京都行政を担う加藤正次と板倉重勝の補佐役として、京都行政に尽力した松田政行の屋敷があった場所になります。