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名前 |
渡邊馨國手頌徳壽碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
井原日詰で、代々お産の医者をしていた渡邊家の中で特に名医とされた渡邊馨氏の功績を刻んでいます。「国手」とは優れた名医のこと。「頌徳碑」ではなく「頌徳壽碑」と「壽」が刻まれているのは、存命中に建てられたものであるからそうです。大正13年10月に碑の除幕式が行われ、その様子は当時の中国新聞にも取り上げられたそうです。碑の右側面の碑文には、次のとおり刻まれているそうです。「渡邊馨先生は産婦人科の名医なり。芸州高田郡井原の人、つとに身を斯界に投じ、造詣深甚にして、人の既に死したるを救い、病を未発に防ぐ。その仁恵の及ぶ所ただに一村一郷にあらざるなり。婦人団員其の徳を不朽に伝えんと欲し、来りて余に文按状を請う。(以下略)」以下略の部分には、先祖が毛利氏家臣で今の三次市三若の瀧城主渡邊太郎左衛門の子綱吉から出て、天正12(1584)年に井原の山根に移ったのち分家して山根屋と屋号を名乗ったこと。以後は医業を生業にしてきたこと。馨氏の産婦人科医としての功績が取り上げられ、人々に寛大でまさに仁の先生だったそうです。(参考文献 井原郷土史同好会.「ふるさと井原の探訪」,井原郷土史同好会,2004,55p)