関東大震災を超えた供養塔。
三浦義村公顕彰供養塔の特徴
三浦義村公供養塔は地元の人々の手によって建てられた特別な場所です。
関東大震災後の歴史的背景が詰まった供養塔として興味深いです。
復元された元の墓石があることで、歴史を感じられるスポットです。
三浦義村公の元々の墓石が関東大震災で海に落ちてしまったため(後に引上げられ最配置された物が手前の墓石)地元の方々が新たな墓石を建てて三浦義村公墓碑改修協賛会の名簿を見るとそれなりの意義があったのでは?また三浦海岸駅を上の方へ行くと朝盛塚が有り子爵三浦基次氏(譜代大名美作勝山藩主子孫)が当時の知識や皇国史観で他にも色々な碑を建てられましたが現在の学識では微妙な部分も。
ここは三浦義村公の墓所ではありません。参道の階段を上がって直ぐ右手の摩耗した宝輪塔の巨石が本物の墓所です。この場所は現代人が顕彰碑を兼ねて建てた供養碑で、墓の形で作ってしまった為に紛らわしい事に成っています。それを調べもしない鎌倉殿の13人でミーハーに見に来た人間が勝手に名前を❝三浦義村公の廟所❞等と変えてデマを産み混乱させてしまいます。また、文化庁が看板を設置している本来の❝三浦義村の墓所❞のマーカーの位置を勝手に変える人間もいますので、皆さん、参拝の際は混乱しないよう気を付けて下さい。本来の御墓を拝んで、こちらの供養碑も拝むと良いかと思います。
名前 |
三浦義村公顕彰供養塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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関東大震災で海に没してしまった三浦義村公のお墓の代わりに、地元の方々が建てられた供養塔?代わりの墓石?です。なお、海に没した元々の墓石は引き上げられて、傍に建立されています。こちらは新しい墓石は、地元の方の篤い思いが形になったようで相当に立派なお墓です。そのせいで、元の?本当の墓石?は、うっかりすると見過ごしそうになってます。