四戸城跡で感じる静けさ。
四戸城跡の特徴
大きな亀石の隣に残る四戸城跡は歴史を感じさせる場所です。
馬泥棒から馬を守るために築かれた城跡の背景が興味深いです。
地元の人にはあまり知られていない隠れた史跡の静かな雰囲気を楽しめます。
現地の看板では「四戸城跡」。城主の四戸氏は九戸政実と親しい間柄だったが、豊臣秀吉の天下統一のための最後の戦いといわれる九戸の戦いで政実と共に没落したようです。
四戸城址。案内板と大石が有るが、明確な遺構は無い模様。しかし、周囲の地形から城郭であった事は確認出来る。
四戸城跡の痕跡はべご石といわれる大きな石だけ。墓苑が広がっている。
20200229三沢は晴天だったので青森~岩手・残りの「〇戸城」弾丸ツアーに行って来ました。3番目は岩手「四戸城跡」の近くに到着しました。長寿寺専用駐車場に車を停めさせて頂いて「四戸城跡」を探すもギブアップ!四戸城(金田一城)は、馬淵川左岸の段丘にあり空堀に仕切られた上館、中館、下館からなり、それぞれ四戸氏、切円氏、金田一氏の居城であったと伝えられ三郭を総称して金田一城といったが詳細は不明だそうです。上館は東西100メートル×南北250メートルで最も規模が大きく、これを四戸城ともいうそうです。城跡からは中世~近世の陶磁器類が出土しています。天正20年(1592年)の「諸城破却書上」には「金田一 山城破 信直抱 代官 上村 杢之丞」とあり、城は破却されたそうです。八坂神社で参拝を済ませ神職の方に御朱印を頂いた時に「四戸城跡」の行き方を伺って、やっと到着出来ました。長寿寺と八坂神社の間の墓地へ行く階段を登って、周囲は広大な墓地で東側の空き地に大きな石(べご石)と四戸城跡の看板とその下に消えかかった小さな説明板があるのみです。べご石:15000年前に十和田湖のカルデラが出来た時に飛来したとも言われてるそうです。元々、八坂神社が四戸城跡に有ったそうです。2月にダラ汗かいて行った割に・・・・・!
「戸」周りをするにあたってGoogle mapで偶然この地を見つけました。訪れないわけにはいかないと思いやってきました。場所はわかりにくいです。長寿寺(門前に車停めれます)の建物の右脇の細い道を奥に行って階段を上るとお墓があります。向かって右側に大石があります。それが跡になっています。
道が少しわかり難かった。間違えて、学校のグランドに迷いこんでしまった。無事到着、回りは墓地になっていました。本丸跡の「ベゴ石」に一礼、この石は存在感が有ります。
碑の隣にある大きな石は、「亀石と呼んで、子どもの頃はよくこの上に登って遊んだ」と、畑にいたおじさんに教えてもらいました。この石は、1万5000年前に現十和田湖のカルデラができたときの大噴火の時に飛んで来たのだそうです。
良質な馬のため…元は、馬の放牧の場所の意味が戸四戸の馬の近くに築かれた城跡馬泥棒が続発し馬を守るために兵が詰めたとも。
昔は私たち一族の土地でしたので色々な言い伝えが残っています。ベゴ石と呼ばれる巨大な石があります。しかしながらこの石に触ると良いことがないと伝えられています。さわらない方が無難かと思います。
| 名前 |
四戸城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
http://www.edu.city.ninohe.iwate.jp/~maibun/bunkazai-database/bunkazai/ruin/index9_0.html |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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城跡っぽいのは何もありません。周囲がほぼお墓なのでイベントで行かなかったら一人ではいけないかも。地形的にお城があったんだろうなと思わせる急な坂道が多いです。