安井息軒の歴史を感じる。
海嶽楼跡の特徴
幕末の大儒学者、安井息軒の屋敷跡です。
私塾海嶽楼が開かれていた歴史的場所です。
明治元年まで存在していた貴重な史跡です。
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幕末の儒学者・安井息軒の屋敷跡。と案内板が有るだけです。サイクリングで英国大使館沿いを走っていたら案内板が目に入りましたが、現在は大使館用地?工事中で造成してるのか採掘してるのか分かりません。
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| 名前 |
海嶽楼跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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幕末の大儒学者、安井息軒さんが慶応元年(1865年)から明治元年(1868年)に焼失するまで住んだ屋敷跡で、私塾「海嶽楼」も開いていました。海嶽楼(かいがくろう)とは、西に遠く富士山を望み、東に金杉の海が眺められるところから称したそうです。「海嶽楼」については、安井息軒とその妻佐代の一生を描いた森鴎外の「安井夫人」という短篇小説の中に『住まいは65のとき下谷徒士町に移り、67歳のとき一時藩の上邸に入って、麹町一丁目半蔵門外の濠端の家を買って移った。策士雲井龍雄と月見をした「海嶽楼」は、この家のニ階である。』と書かれています。