隠れた秘境、土倉鉱山探訪!
土倉鉱山跡の特徴
土倉鉱山跡は明治43年から昭和40年まで稼働した銅鉱山の跡地です。
岐阜側303号線から片側1車線の山道を進んでアクセスします。
細い道を抜けた後は、スズメバチやクモがいない穏やかな環境が広がります。
明治43年採掘開始で昭和40年に閉山となった銅鉱山です。今は強者どもの夢の跡が遺構として静かに佇んでいます。日本の原動力になっていたんですね!
国道からそれて細い舗装道路をしばらく進むと、その道から更に上に上がる細い道があり、そこから350mほどで到着。前には未舗装だが駐車場がある。建造物は草が多い被ってしまい確認しづらいが、それでも当時の面影を感じるコトができ、重厚だ。
岐阜側から303号線より左折しました。鉱山跡までの道のりが少し狭い印象でした。フェンスがあり外から眺めました。
フェンスで囲われ立ち入り禁止なのは仕方ないけど、草木に覆われ全容が確認出来ませんでした。季節の問題かもしれませんが手入れされないなら他の季節も期待はできないかも。
滋賀リズムのパンフレットに載ってて気になったので行きました主要道路から看板が出てたのでそっちの方に入って行きましたが、そこからは電波が全く入らないので注意です!!立ち入り禁止の看板があったのでそこを左に曲がって行くと急に現れ、凄かったです!草が生えすぎててクチコミの写真とは少し違いましたが、よかったです2キロ先に2代目浮遊選鉱場があると書いてあったので、行けるかなと歩いて行きました。(車でも行けるかも知れませんが、細くて横は川なので行ける方のみの方がいいと思います。)結局は私有地の為、後500mほどで到着予定が行けなかったです。鉱山の前の砂利の場所に車を停めましたトンネル前にも砂利の駐車場みたいなところがあったのでそこにも停めれました。(トンネル前に車が停まっていましたが、どこにも人らしき人が見当たらなく放置車両ではなさそうですが、気になります。上に行った時も人には誰とも会いませんでした)
6月の様子です。草で全貌がよくわかりませんでした。
木ノ本方面から来ると、金居原を過ぎる頃に右に側道が有り 土倉鉱山の看板も少し見ずらいけど有ります。側道を入って行くと、本線の下をくぐり抜けて 北側へ、400メートル程行くと 分かれ道が出て来ます。看板は左側へ 150メートルも行けば コンクリートの廃墟が出て来ます。この先にも 施設跡が有る様ですが、一人では 心細く 此処で 写真撮りをして 退散しました。昭和 30年は最盛期で、学校・病院・購買等で たくさんの人達が住んで居た様ですが、どんなに繁栄していても 資源相手の仕事は 衰退が待っている。
第三選鉱場の前迄は、軽自動車なら乗り入れられ車も停められます。離合に注意。金居原の自治会方がボランティアで管理されています。柵で仕切られていますので、絶対に立ち入らないでください。4月19日に訪問時、マムシに遭遇。注意してください。
いい廃墟ですが、小規模な施設です。奥土倉鉱山跡をめざして歩きましたが、写真の看板があるだけでした。
名前 |
土倉鉱山跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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入口の看板が古すぎて分かりにくいので注意!道は狭くすれ違い注意!鉱山跡の前に砂利敷きですが駐車場有り結構立派な建物で感動した坑道の入口は今は鉄格子で入れなくなっていて奥から水が流れている全体的に迫力がありました。