仁和年間創建の金岡神社。
金岡神社の特徴
仁和年間に創建された歴史ある神社で、落ち着いた佇まいです。
平安時代初期の絵師・巨勢金岡を祀る貴重な神社として知られています。
地元で愛され、夏祭りでは勇壮な雰囲気が楽しめる神社です。
金岡神社右側に竹内街道の道標が有りました!道は4差路交差点!さて?どの道?ひとまず神社に手を合わせ、正面の道まっすぐ行きなさい!正解⭕迷わず目的地着いた!
仁和の時代(885年 - 889年)に、住吉大神を祀って、竹内街道沿いに創建されたと伝えられている。日本書紀に「是歳、大道(おほち)を京(みさと)の中に作る。南の門より直に指して、丹比邑(「たぢひのむら」と読み、現松原市内?)に至る」と書かれている。別の項には、「難波より京(「みやこ」と読み、現奈良県櫟本)に至るまでに大道を(おほち)置く」という記述があり、難波大道と竹内街道・横大路のことを指すと考えられている。難波大道の南端に存在しているという意味に、日本書紀からは考えられるのであるが、この近辺では発掘調査などは実施されておらず定かではない。天王寺区細工谷付近では発掘により存在が確認できている。日本書紀の記述が正しいとすれば、難波の宮のも南側の守護、或いは平城京の西側の守護である、住吉大社と共に働いていたのではないか、と考えて差し支えないだろう。
地元に溶け込んだ、落ち着いた佇まいが好きです祭りのときでも柔らかな印象を変えないところもいいです。
大和絵の様式を確立させたとされる平安時代初期の絵師である巨勢金岡を祀る神社として知られています。巨勢金岡は、中納言・巨勢野足を曾祖父に持つ少壮貴族の出身であったが、その豊かな画才を朝廷に認められ、宇多天皇や藤原基経といった権力者の恩顧を得て活躍した。貞観10年から同14年にかけては宮廷の神泉苑を監修し、その過程で菅原道真や紀長谷雄といった知識人とも親交を結びました。日本画独自の様式を追求・深化させ、唐絵の影響を脱した大和絵の様式を確立させた功労者とされます。またその子孫は、後世において巨勢派と称される画家集団を形成、宮廷画や仏画の分野において多大な影響力を発揮しました。しかし、その作品は一切現存していません。
地下鉄御堂筋線の新金岡駅から南東へ少し歩いた辺り、竹内街道沿いにある金岡神社へお参りしました。こちらは平安時代前期の絵師、巨勢金岡(こせのかなおか)をお祀りしていて、この周辺の地名や駅名の由来にもなっています。神社の北東には巨勢金岡が筆を洗ったと言い伝えられる池の跡、「金岡淵」の碑があり、また神社の西には御旅社である「頓宮 西之宮」のあった場所に石碑と大きな楠があります。
絵所長者という役所で最も重きをなした平安前期の宮廷画家巨勢金岡を祭る神社、旧社格は郷社、主祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命、素戔嗚尊、大山昨命、巨勢金岡、創建は伝、仁和年間(885~889年)竹内街道沿いにある又難波大道の南端に存在しているという説も有るが此の近辺では発掘調査等は実施されておらず定かでは無い、ここには頭正院という神宮寺があつたが神仏分離令により廃寺と成っている、その後近隣の神社が合祀され現在に至る。
地名にもなった歴史ある神社。
夏祭りには必ず行ってます。
親族が亡くなった次の年以外は毎年いいくじを引くのに、今年初めて凶を引いてしまいました。大変ショックです。
名前 |
金岡神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-258-2127 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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町中にあるなかなか大きい神社です。綺麗にお手入れされてました。