秋田県の金運スポット、大国主命。
大国主神社の特徴
秋田県仙北市西木町にある、大国主神社は金運アップのパワースポットです。
木彫りの神像が印象的で、独特な雰囲気を醸し出しています。
画像撮影を楽しむことができる、参拝客に人気の神社です。
パワースポット?
Apr'18.2021 参拝並びに画像撮影。入母屋造の、如何にもお堂と言った建築。以下転載創建時代は記録及び口伝が無く不詳である。ただ阿弥陀堂略縁起によれば亀山天皇の弘長2年、最明寺入道時頼が真言密教布教と世情視察のため、諸国行脚に出たがその出国後、時頼の愛妾唐糸姫が家臣達に囚われ、これを逃れて海に入り死を選んだが、その死体が津軽の外ヶ浜藤原崎に漂着した。恰も時頼が廻国の途すがらこれと出遭い石沢の辺りに葬ったという。旅を続けた時頼が当村の古刹に足を留めたのが唐糸姫の死体と会ってから37日目に当っていたので、その古刹から程近い薬師堂で追善供養を営み、且つ寺号を真言宗・光明寺と定めたとのことである。その後村人はこの事蹟に因んで光明寺を最明寺と改め、村名も西明寺としたと伝えられている。薬師堂は、はじめ薬師十二仏だったが元亀年間に阿弥陀・薬師・観音の三仏に変り以来薬師堂を三七日山阿弥陀堂としたとある。更に明和7年堂宇移転再建のとき観音像が勢至像にかわり、阿弥陀如来・薬師如来・勢至菩薩の三像が現在に至る。堂宇内には更に木喰上人作と伝えられる木造大黒天一躯があり、明治7年祀官岡部常磐が阿弥陀堂を大国主神社と改称し、大国主命を祀る。猶古刹・最明寺は明治初年廃寺となり、今はその跡かたもない。との事である。中、見てみたい…。
3.5.1コロナ禍なので、神社巡りここは秋田県指定有形文化財に登録されている神社大黒様が祀られ、金運を呼び込む。入り口には凄みのある仁王像がある。中々他には無い仁王像の出立ちと雰囲気が良い。神社は閉じている。指定有形文化財だから中が開帳されていないとか。シブい神社だぜ⛩
木彫りのが怖い。
仙北市西木町西明寺に鎮座します。御祭神は大国主命。創建などの由緒は不明です。通称として阿弥陀堂や阿弥陀様とも呼ばれているそうです。本殿と山門(仁王門)は秋田県指定有形文化財となっております。
神社なのにお寺みたいだった。
秋田県 金運スポット。
| 名前 |
大国主神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0187-47-2714 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
http://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/tatsujin_etc/kennsaku/senboku/11_ookuninusi.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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堂村大国主神社(どうむらおおくにぬしじんじゃ)御祭神 大国主命御神体 木造阿弥陀如来坐像 薬師如来・勢至菩薩立像 木造大黒天一躯由緒創建時代は記録及び口伝が無く不詳です。ただ阿弥陀堂略縁起によれば、亀山天皇の弘長二年(1262)最明寺入道時頼が真言密教布教と世情視察のために諸国行脚に出たその出国後、時頼の愛妾唐糸姫が家臣達に囚われ、唐糸姫は逃れて海に入り死を選び、その死体が津軽の外ヶ浜藤原崎に漂着しました。恰も時頼が廻国の途次これと出遭い、石沢の辺りに葬ったといわれています。旅を続けた時頼が当村の古刹に足を留めたのが唐糸姫の死体と会ってから三十七日目に当っていたので、その古刹から程近い薬師堂で追善供養を営み、且つ寺号を真言宗光明寺と定めたといわれています。その後村人はこの事蹟に因んで光明寺を最明寺と改め、村名も西明寺としたと伝えられています。薬師堂は、はじめ薬師十二仏でしたが、元亀年間(1570~1573)に阿弥陀・薬師・観音の三仏に変り、以来薬師堂を三七日山阿弥陀堂としたとあります。更に明和七年(1770)堂宇移転再建のとき、観音像が勢至像にかわり、阿弥陀如来・薬師如来・勢至菩薩の三像が現在に至ります。堂宇内には更に木喰上人作と伝えられる木造大黒天一躯があり、明治七年(1874)祀官岡部常磐が阿弥陀堂を大国主神社と改称し、大国主命を祀っています。猶、古刹の最明寺は明治初年廃寺となり、今はその跡かたもありません。(「秋田県神社庁HP」参照)秋田県指定有形文化財(建造物)「大国主神社本殿・表門」堂村大国主神社は秋田県唯一の阿弥陀堂建築で、大変貴重な建物です。本殿、山門及び安置されている仏像三躯が県の重要文化財に指定されています。現在の社殿は明和年間(1764~1772)に再建したとされています。木喰上人は江戸時代後期の仏教行者で、日本全国におびただしい数の遺品が残っています。特定の寺院や宗派に属さず、全国を遍歴して修行した仏教者を行者あるいは遊行僧といい、木喰はこうした遊行僧の典型で、訪れた先に一木造の仏像を刻んで奉納しました。木喰の作風は伝統的な仏像彫刻とは全く異なった様式で、その仏像は微笑を浮かべた温和なものが多いのが特色です。(Wik参照)