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碑文古来氷川神社の南面に広がる田園地帯は西耕地と呼称され荒川の出水におびえつつも常に用水不足の苦労を重ねてまいりました。昭和22年土美耕地整理により区画も一新し揚水場の設備も行なわれましたが揚水場が低地にあるため全耕地を満たすことができず昭和28年春一乗院の一隅に深井戸を鑿泉し関係面積30ヘクタール組合員80数戸の安定を見るに至りました。然るに昭和40年代に至り新大宮バイパスの開通美女木地区の区画整理市街化区域と重なり急激に都市化が進み西耕地の面影は年毎に変わってまいりました。ここに設立以来の歩みと組合の運営に尽力された役員の芳名を記し設立30周年の記念にします。昭和53年11月。