福山の追憶、母子の絆を刻む。
福山市制55周年記念事業として、空襲の翌朝、被災した母子を目撃した話をモチーフに1972年(昭和47年)に「追憶」という母子像が建立されました。石碑文第ニ次世界大戦の終焉を告げんとする昭和20年8月8日夜 米軍機の焼夷弾投下により市街地は一瞬にして火の海と化した今ふるさとよみがえり生成発展をつづけるとき、ここに尊い犠牲となられし、御霊の冥福を祈り平和を祈念するため慰霊の像を建立し永く後世に伝える昭和47年3月建立福山市長 立石定夫像の前にある石碑文潮騒の永遠に高く、湧き立ち昇る雲なみの下今ふるさと甦り、生成発展をつづけるとき当時を回顧し、御霊の冥福を祈り、平和を祈念し、われら相寄り、御霊の像を建立し、後の世に留める福山市長 立石定夫どちらの石碑文は少し違うが内容だが殆ど同じ今城国定広島県芦田郡府中町[現府中市]1916年[大正5年] 生2000年[平成12年] 享年84歳。
名前 |
福山市戦災死没者慰霊碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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■戦災慰霊碑「追憶 (母子三人像)」福山市広島県福山市にある石碑。福山中央公園にある戦災慰霊碑と母子三人の祈念ブロンズ像。作者:今城国定建立:昭和47年 (1972) 3月●モンペに防空頭巾を被り、幼児を抱きかかえた母の腰に手を回し先を見ている児童、母子三人の戦火を逃げ惑う姿が描かれてある。初見した後から暫くした3年前位に彫像作品としてクチコミ投稿した。しかしGoogle Mapから抹消されたようだ。もう一基ある「母子三人像」の撮影を収めたデジカメは壊れてしまった。クチコミ記事は記憶から呼び戻して再度記事を起こして見たが何か違う様で止めた。「母子三人像」を観賞し、碑文を読み、手を合わせる。折鶴を見て和んだが煉びが増す。合掌🙏