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名前 |
三箇野台 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
1572年11月15日、3万5千の兵を率いた甲斐の武田信玄が長野静岡県境の青崩峠を越えて遠江国に侵攻した。武田軍は旧周智郡の犬居城、飯田城を攻略し、袋井市久野城を包囲。一方浜松城主徳川家康は久野城救援の為に城を出た。徳川軍は、本多忠勝、内藤信成率いる偵察隊を先行させ、天竜川を渡り磐田原台地の見附(静岡県磐田市見付)に到着。磐田原台地東端の三ケ野坂に到着した本多忠勝は、この場所にあった松の大木(本多平八郎物見の松)に登り、袋井市木原・西島に布陣した武田軍の様子を偵察したと伝えられている。この松は現在枯れ果てて存在しない。許禰神社(こねじんじゃ)北方付近の「木原畷古戦場」(きはらなわてこせんじょう)とここ三ケ野坂の「大日堂古戦場」(だいにちどうこせんじょう)で、武田・徳川軍が小競り合い程度での衝突があったとされ、数に劣る徳川軍は途中磐田原台地西端付近一言坂の戦いを挟み浜松に撤退した。北に国道1号バイパス、東に袋井の一部が臨める程度でさほど眺望が良いとは言えない。大日如来が収められたお堂のあるこちらは大日堂古墳と呼ばれる円墳の墳丘上であり、標高38メートル、坂下からの高低差は29メートル。