桜舞う高台の城跡でピクニック。
高水寺城(郡山城)跡の特徴
高台に位置し、桜が美しいお花見スポットです。
中世斯波氏の居地が残る歴史ある城跡です。
駐車場からのウォーキングも楽しめ、景色が素晴らしいです。
広くて景色もいいし駐車場もたくさんあって桜が咲いてない時期でもピクニック出来る。
なんとなく名前が好きなお城。斯波家の居城だったところで南部さんとのいざこざを支えるお城でしたどの地域でも管領はなかなかしぶといようですね。
城跡として楽しめます。城跡に興味がない方は 桜の季節がおすすめです。
2022年7月27日に散策しました。中世斯波氏累代の居城であった場所です。斯波氏は、足利氏の有力な分族でした。南北朝時代、足利尊氏は、斯波家長を奥州管領に任命しました。斯波氏は、北朝方として活躍します。室町時代に紫波郡一円の領主として君臨しましたが、三戸南部氏との抗争に敗れ、天正16年1588年に高水寺城は落城してしまいます。落城にいたる顛末ですが、敵対する南部氏と婚姻関係を結ぶことで、和平を結び、抗争の激化をおさめようとしたことが発端と考えられます。南部氏一族である九戸政実の弟、弥五郎が入り婿となって髙田吉兵衛康実と名乗って高水寺城内にあった吉兵衛館に住みました。天正14年1586年に髙田康実が、南部氏に出奔し、南部氏との抗争が再発します。天正16年1588年岩清水館(現在の盛岡城)の岩清水右京や義教が、南部信直と内通して主君斯波詮直に対して謀叛を起こします。斯波詮直は、大崎氏のもとに逃亡し、無抵抗のまま高水寺城は陥落しました。南部氏は、占領した高水寺城を郡山城と改称します。ことの発端となった髙田康実は、中野康実と名を改め、郡山城城代となりました。盛岡城完成までの数年間、南部利直公の居城ともなりました。盛岡城築城のため、郡山城の石材は、盛岡城本丸建設に使用されました。寛文7年1667年に城代制が廃止され、郡山城も破却されました。残った郡山城本丸の石垣は、弘化3年1847年、38代藩主南部利済公の時に承慶橋の土台として活用されたと伝わっています。
心霊YouTuberのMtvが訪れてます夜は、あまりオススメしないかな理由は動画を見てもらえると納得すると思いますでも、ここ桜がキレイですね🎵
公園になってはいますが土塁や郭がよく残っていて意外と楽しめます。
某PCゲームデフォ城を巡る旅岩手で中心と為す城 麓の高校辺りからの規模を考えると規模は大きいしかし道路を引いて 駐車場もかなり設営されている為 そこが元曲輪なのかどうかの説明無し…遊具や動物の展示など公園と化している。
桜が綺麗でした。
桜がとてもキレイなお花見スポットです。頂上からの景色は気持ちいい。お子さん連れもオススメ。遊具もあり、うさぎ、孔雀もいます。
| 名前 |
高水寺城(郡山城)跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
019-672-5243 |
| HP |
https://www.town.shiwa.iwate.jp/soshiki/5_1/2_4_bunkazai_town/8693.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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桜が見たくて訪れました。時期が4日ほど遅かった感じ。駐車場も各所に有り花見がし易い環境だけど休日は混み合いそうだ。