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| 名前 |
沼部舘主郭址 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0229-23-5097 |
| 評価 |
2.5 |
| 住所 |
|
中世奥州管領大崎左衛門義隆の家臣で、沼辺兵部隆茂、沼辺甚左衛門の居城、城址は日向屋敷と呼ばれ水濠や土塁・楼閣の址が在ったことから、地元ではタカトラと呼んでいる。永仁5年(1297)の碑等がある。大崎合戦の伊達政宗軍との合戦では最上義光から最上も応援するので大崎家臣団一致団結して戦うようにとの激励書状が沼辺兵部隆茂殿宛に届けられている。秀吉の出羽奥州仕置きにより領地を取り上げられたが、義隆と兵部隆茂は最上義光を頼り出羽に逃れた。会津の蒲生氏郷にお世話になり身を寄せ、大崎義隆と沼辺隆茂はその後伊達政宗に仕え、子孫代々繁栄している。近世は長谷景重が居住の舘址。明治以降は沼部と表記している。現在舘址は私有地で畑や森となっているので、許可を頂かないと城址や主郭に入る事は出来ない。