歴史を感じる仙台の隠れ家。
茂庭綱元の墓の特徴
伊達政宗公の史跡として歴史を感じられる場所です。
隠棲した五郎八姫ゆかりの地で見どころ満載のスポットです。
鬼庭良直の子、茂庭綱元の墓が位置する歴史的な場所です。
歴史を感じられる場所です。
茂庭綱元(鬼庭)は1549年、鬼庭良直(左月斎)の子として生まれた。異母姉に喜多(父の前妻との娘)がいる。喜多の異父弟である片倉景綱(初代小十郎)とは血の繋がりはないが兄弟のように力を合わせ政宗公を支えた。一時は出奔したが帰参を許された。政宗公と正室愛姫さま(めごひめ)の子、伊達宗綱(忠宗の弟)の守役を仰せつけられる。だが1618年、宗綱は病に倒れ、手厚い看病も空しく僅か16歳で病死した。綱元は宗綱の菩提を弔いたいと請願した。政宗公の叔父石川昭光公、伊達家武の武将伊達成実公連名の書状を送り、百ヶ日が過ぎたら仙台へ戻ることを条件に許された。高野山に入り出家し、(仏門に入ること)了庵と号した。綱元は3年逗留し、自分よりも若くして亡くなった宗綱の菩提を弔い、弔修の誠を尽くした。政宗公の4回忌にあたる、1640年5月24日。綱元は洞泉院で亡くなった。享年92歳。摺上原の合戦で殿を務めて潔く戦死した父良直の臨終の際の遺言である、若死にせず、長生きせよ。の言いつけをきちんと守り、見事な大往生を遂げた。
小学校の跡地でした。
名前 |
茂庭綱元の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.8 |
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伊達政宗公が逝去後、仙台市青葉区下愛子(現 栗生)の西館を政宗公の長女 五郎八姫(いろはひめ)に譲りこの地に隠棲。1640年 奇しくも政宗公と同じ命日 5月24日逝去。享年92歳だったという。綱元公自身が彫った石像が墓石になっているらしいです。