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名前 |
白鷺橋拡幅記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
白鷺橋拡幅記念碑大正初期から、姫路市の商工振興策の一環として、公共用地を確保するため、姫路城の中濠の埋め立て作業が急ピッチで進められた。昭和7年には、城南部の幅約20メートルの中濠が埋め立てられ、翌8年、船場川に架けられたこの白鷺橋の竣工をまって、国道2号が開通した。橋名の由来は19世紀頃より姫路城の推称とされた白鷺城によるものである。その後、第2次世界大戦で、当市もまた米軍の空襲を受け、特に昭和20年7月3日夜の第2次空襲で、この周辺は火の海となり焦土と化した。今もこの橋に残る黒い焦げ跡が当時の状況を物語っている。戦後の目覚ましい経済復興と交通量の増大に対応して、昭和49年より国道の拡幅事業に着手したが地元住民の強い願望もあり、この橋は原型のまま拡幅することとし、平成3年に竣工した。ここに、白鷺橋の拡幅を記念して、その由緒を記するものである。平成3年3月記 兵庫県。