心静まる広峯神社の荘厳。
旧縣社・廣峯神社の特徴
黒田官兵衛ゆかりの、由緒ある歴史を感じる神社です。
京都八坂神社の元宮として名高い、特別なパワースポットです。
姫路市街を一望できる好立地、静謐な雰囲気に包まれています。
山頂にある神社。鳥居の前に駐車場がありますが、そこから更に狭い道を車で進むと、本殿の近くにも駐車場が有ります。急勾配\u0026激狭の道なので、運転に自信の有る方限定です。綺麗な御朱印を頂くことができました。
参道は、静けさを感じ、とても良い心持ちになりましたね。参拝の帰り道、鳥居近くで鹿に出会いびっくりしましたがあれは神様の使いでは•••と思いあとにしました。
姫路『廣峯神社』五穀豊穣・疫除けの神として ほぼ山頂の駐車場に停めてくてくと暑い昼下がり 国指定重要文化財の奥の本殿は国内最大級の大きさで室町時代中期様式で神殿と仏間を交互においた神仏習合建物で主祭神は素戔嗚尊(牛頭天王)で733年右大臣吉備真備により創建。播州の守護神として崇敬された表側の拝殿は、桃山時代建立し正面十間本殿裏には一白水星から九紫火星迄の九星の神々が宿る珍しい九つの穴が在ります拝殿にて神様へ日々の神恩を感謝しその後本殿裏に廻って自分の運命星の穴に有る守神に向かって叶えごとを3度ささやき祈ってきたとの事随神門からの眼下の姫路が陽炎の様にゆらゆらし綺麗だわ。
山奥にある神社でした。市街や瀬戸内の海が一望できる景色はとても綺麗でした。九星祈願というのがあり、一つだけ自分のお願いしたいことをお札に書いて、そのお札を自分の星の穴に入れて祈願するという珍しいものがありましたよ。穴に入れるお札のみは¥500で、家で飾るお札セットは¥800です。ココに来るまで、道路が狭い箇所があるので気を付けて参拝してください。
心霊スポットとして有名なこの神社の駐車場ですが、こんな神聖な場所にそんなものいるはずないという思いに基づき、毎度の事ながら夜の訪問となりました(笑)マラソンが近かったのもあり、姫路市内から往復約20キロ自分の足で行って参りました🦵やはり神聖で荘厳な出で立ちの神社で夜でも恐怖よりも神聖さを感じます。近くには古道という昔の修験道?っぽい雰囲気ある道が敷地内にありました!鹿さんに3回くらい遭遇しましたが、なかなか徒歩で行くには骨の折れる道のりでした‼️
見どころの多い神社です。とても広い拝殿とたくさんの摂社、そして牛頭天王の総本宮。名軍師黒田官兵衛とも関わりがあり。それと九星詣りという他の神社には無い参拝ができます。初めてしっかりと参拝して回りましたが立派な神社です。駐車場にある鳥居から右手に登っていく天祖父社経由での参拝で楼門まで10分かからないくらい。でも歩きにくい道。帰りは舗装道で帰りましたが時間は同じくらい。これなら先に本殿目指し、後から天祖父社経由が正解かもしれないです。本殿裏の九星詣りたくさんの摂社をのさらに奥には磐座と2つの摂社もあり。本殿から10分ほどですが少し山道を歩きます。全国的に見てもかなり大きな拝殿と独特の参拝方法が存在する牛頭天王の総本宮。ここは参拝をとてもおすすめできる神社です。
近くにいても訪れた事なかった神社です。無料駐車場から大鳥居にまわって、参道を10分あまり登ります。夏越の大祓の時期だったので、輪抜けをさせて頂きました。いろんな興味深い神社やおみくじもありました。
境内から見渡せる姫路市街のロケーションも良いですが、それ以上にパワースポットとして名高いお社だけあり、静謐ながらに漲る感じのお社でした👍
セトレハイランドヴイラから歩いて来ました駐車場は沢山ありました。途中の道は広くないです黒田官兵衛ゆかりの神社のようでした。高さがあるので景色も素晴らしいところです。
| 名前 |
旧縣社・廣峯神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
079-288-4777 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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広峯神社(ひろみねじんじゃ)。兵庫県姫路市広嶺山。国史見在社、旧県社。別称広峯牛頭天王。天平の昔から名の見える古社である。主祭神:素戔嗚尊・五十猛命資料によると、兵庫県姫路市の広峰山山頂にある神社である。 全国にある牛頭天王の総本宮(ただし、八坂神社も牛頭天王総本宮を主張している)。『播磨鑑』には「崇神天皇の御代に廣峯山に神籬を建て」とある。天平5年(733年)、唐から帰った吉備真備が都へ戻る途中この地で神威を感じ、それを聖武天皇に報告したことにより、翌天平6年(734年)、白幣山に創建されたのに始まると伝えられる(広島県福山市の素盞嗚神社の社伝によれば吉備真備は備後から勧請したという)。天禄3年(972年)に現在地の広峰山頂に遷座した。延喜式神名帳には記載がないが、『日本三代実録』貞観8年(866年)条に「播磨国無位素盞嗚神に従五位下を授く」との記述があり、当社のことと見られる。また、この牛頭天王という神は陰陽道にとって非常に重視される神であるが、創建者とされる吉備真備は陰陽師であったとされ、広峰神社が陰陽道と浅からぬ関係にあったものと推察される。牛頭天王に対する信仰は、御霊信仰の影響により、厄いをもたらす神を祀ることで疫病や災厄を免れようとするもので、以下に記す祇園社(八坂神社)の「祇園信仰」が有名であるが、当社においては主として稲作の豊饒を祈願した内容の信仰となった。これを「広峯信仰」と呼び、当社が古くから農業の神として崇拝された所以である。(祭礼の項の御田植祭及び祈穀祭参照)貞観11年(869年)、当社から平安京の祇園観慶寺感神院(現在の八坂神社)に牛頭天王(素戔嗚尊)を分祠したとする説があり、貞応2年(1223年)の文書にも「祇園本社播磨国広峯社」とある。そこから祇園社(牛頭天王社)の元宮・総本社とも言われているが、八坂神社とは今なお本社争いがくすぶっている。また、当社から京都八坂神社へ祭神を分祠する際に通過して休憩したと伝えられる神戸の祇園神社や大阪の難波八阪神社、京都の岡崎神社などのような祭神の遷座の旧跡も存在する。三重の尾鷲神社などにも分祠している。広峯山の山頂に鎮座する「廣峯神社」はスサノオ(中世~近世は牛頭天王)を祀っており、スサノオは記紀において始め新羅に降臨したとあることから、廣峯神社もまた当地に居住した新羅人に関するものとも考えられます。とあります。