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名前 |
大里城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
大里城は鎌倉時代に武蔵国の御家人、成田四郎の郡統治の本拠として築いたと伝わる。成田氏は鹿角四氏の統領として、南北朝期には鹿角国代となり、南部氏に比肩する勢力であった。特に、成田小次郎左衛門尉頼時は1336、37年の浅利氏と曽我氏の連合軍をこの大里城で撃退している。しかし、その250年後の九戸騒乱に城主大里修理親基が九戸方として入城し、六万五千の塀に囲まれながら五千の兵で三ヶ月籠城したが、九戸城は落城し、首謀者8人の1人として、九戸政実と共に処刑された。城の規模は広大であったが、俗に言う「館崩し」で浅野長政の重臣中山助右衛門によって破却された。