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名前 |
八幡新田と三木家の説明板 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
江戸時代の頃、この地域の水田が日照りにより壊滅的な状態の時に村人が大庄屋・三木氏に新しい水路の開発を依頼し、私財を投じて水路用の坑道を彫るという難工事を達成・結果として新田開発を含む水田はこの事業により形作られたという記録を、説明板で後世に伝えています。とくに「人は歳月と共に、忘れてしまうのが世の常だ」という一文は、まったくもってその通りだと感じてしまいます。説明板があるところが坑道なのかはわかりませんが現在に続く水路の原形であるのは確かだと思います。ちなみに大庄屋・三木氏で検索すると「林田大庄屋旧三木家住宅」が出てきますが場所がかなり離れているので、この地区とは違う別の人物だと思います。