秦河勝を祀る神社、歴史が息づく宝珠山。
旧県社 大避神社の特徴
宝珠山麓に位置する、秦河勝を祀る珍しい神社です。
神仏習合が見られ、歴史的な建造物が点在しています。
生島に埋葬されている秦河勝のお墓も訪問可能です。
渡来人秦氏に所縁の深い神社坂越の船祭で前方坂越湾に浮かぶ生島の御旅所に櫂伝馬船に乗った神輿が渡御する様は圧巻背後の宝珠山にある妙見寺は元当社の神宮寺で今でも神門の裏面には仁王像があるなど神仏習合の名残がある。
赤穂市坂越(さこし)の宝珠山麓にある神社。旧社格は県社だそうです。瀬戸内海三大船祭りの1つ「坂越の船祭り」(重要無形民俗文化財)で知られる神社です⛩️。ここの神社は秦河勝、天照皇大神、春日大神を祀っている神社で!秦河勝は、6世紀半ばから7世紀半ばの聖徳太子時代に活動した、秦氏出身の豪族でした。創立時期は明らかではありませんが、秦河勝が没した大化3年(647年)に、地元の民が秦河勝の霊を祀ったことが始まりとされています。現在の本殿は明和6年(1769年)、拝殿・神門は延享3年(1746年)に再建されたものです。拝殿両脇の絵馬堂は40以上の絵馬があり享保7年(1722年)の日本で最も古い船絵馬で貴重なものとされています。
ふつうの神社とは、違います。禁足地が裏山じゃなく、前の島です。
渡来人である秦河勝氏の神社と言われています。4月3日に寄りますと何か神事が行われていましたがユダヤ教の神事ではないようでした。猿楽、能楽、邦楽の始祖らしく東犠家の奉納額もありました。尤も現在の東犠家はバイオリンも教えられています。
ユダ12氏族を意味する井戸があると本で読んだ記憶で尋ね、地元の方に場所を教えて頂き撮影。神社が1450年の歴史がある石碑を撮影。また、宮中雅楽の人間国宝である東儀俊夫様が、舞を奉納しておられた事も地元の方にお聞きして驚き撮影。東儀様とはフランスのブルゴーニュの城に宮中雅楽が初めて海外で舞われた時に食事した事がありご縁を感じた旅でした。
2022年1月23日(日)13時頃訪問天気☔️無料の赤穂市坂越 駐車場 に停め徒歩で3分ぐらい歩くの遅いので早い方なら1分ぐらいでいけるかも…御朱印は頂けませんでした😭
大避神社(おおさけじんじゃ)は、兵庫県赤穂市坂越(さこし)の宝珠山麓にある神社。旧社格は県社。瀬戸内海三大船祭りの1つ「坂越の船祭り」(重要無形民俗文化財)で知られる。河勝は太子死後の皇極3年(644年)、海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めたのち、大化3年(647年)に80余歳で死去、そして地元の民がその霊を祀ったのが当社の創建という。神社正面の海上に浮かぶ生島(国の天然記念物)には秦河勝の墓があり神域となっているため、現在でも人の立ち入りを禁じている。
おおさけ神社と読む。お酒の神様みたいだが、海運の安全を祈願する神社なのだろう。たくさんの絵馬(木に描かれた絵)が奉納されていて歴史を感じた。見晴らしは最高。登山をする人ならさらに標高の高い妙見寺まで行くとさらに視界が開けるが、大避神社の境内からの坂越湾の風景もなかなか美しいと思った。
山で一泊させて頂いたのでご挨拶を。とても趣きのある神社。
| 名前 |
旧県社 大避神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0791-48-8136 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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秦氏の末裔、聖徳太子の右腕と言われた秦河勝公をお祀りするお社。坂越の浜を見下ろす高台にあります。聖徳太子がお亡くなりになったのち蘇我入鹿の迫害を避けるため、乙巳の変の1年前の644年に海路で坂越浦に辿り着き、647年にお亡くなりになりました。坂越での3年間で土地の開発に尽力されたことから、死後まもなく村人が祠を立てて秦河勝公をお祀りしたのがはじまりとのこと。秦氏の祖神をお祀りする京都の大酒(大避)神社と同じお名前。駐車場は、バイクなら坂を登った先の階段の下に停めることができますが、車の場合は難しそう。浜の観光駐車場から歩いた方がいいかも。