巨大な絵馬と桜、御形神社の魅力。
御形神社(式内社・旧縣社)の特徴
朱色と緑に彩られた美しい社殿が特徴的です。
県内でも一際大きな絵馬が目を引く神社です。
秘伝の蟇目祈祷が病気平癒に効果著しいと評判です。
御神木のまっすぐに伸びた姿を見ると心までピンとします。鳥居をくぐると空気が変わる気がして大好きな神社です。
鳥居⛩の前に兵庫県固有種正福寺桜が咲いてる❀重要文化指定室町後期の鮮やかさ素敵な拝殿🏘日本一🇯🇵らしい \u003e\u003eジャンボ絵馬(縦4.5㍍×幅7.2㍍)駐車場🅿は、鳥居の手前に広大な敷地が有るので、停めれないと言う事は有りません🚗障害の有る方や、高齢者は、鳥居をくぐると目の前に数台スペースが有ります!トイレ🚻は綺麗です、トイレには珍しく入口にアルミサッシの引戸が付いてますね〰️自販機🥤は有りません❌
御形神社、兵庫県宍粟市一宮町森添。主祭神=葦原志許男神~大国主神。右殿=月夜見神・天日槍神、左殿=高皇産霊神・素盞嗚神。村の裏手、山麓へ鎮座。まっすぐな参道が山へ向かって続く。鳥居、随神門をくぐると、奥へ構えの良い拝殿が見える。拝殿の美しさが見どころ。国争いでお祀りした場所で、相手方の土地へ祀っているが、当時の風景は、いまの理解とは異なることが興味深い。播磨国風土記では、国争い~黒葛で国を定めるとする。葦原志許男神=但馬の気多郡(気多神社)、養父郡(養父神社)、三條(御形神社)。天日槍神=但馬国(出石神社)。伊和=神酒=三輪、伊和は、いわとするが、石作の土地であると同時に、伊和は元が神酒ともするところから、奈良市桜井市の三輪山を仰ぐ、大神神社に通じる。単に、出雲系とくくるのも尚早だと考えるべきだろう。境内社3=日吉神社(本殿右)、佐閉神社~障ノ神(本殿左)、忠魂社。ほか、仮殿(解体修理時鎮座・本殿左手前)がある。
朱色と緑で彩られた美しい神社です。難病祈願でお参りさせて頂きました。お蔭で元気になりました。神頼みとは良く言ったものです。
一宮町の山奥の歴史ある重厚な神社です古代は但馬と播磨を結ぶ重要な要衝だったんでしょうね。
どっしりと鎮座した立派な神社ですね。鳥居から、いい感じの拝殿が、見えます。雰囲気がいいと思います。御朱印あります。
歴史ある大変素晴らしい神社です。拝殿の裏側にご神木の「夜の間の杉」があります。元は3本の大杉が並び立っていましたが、2本が大正期に台風で倒れ、現在は1本が御神木として残っています。御形神社は元々高峯山に祀られていましたが、奈良時代の宝亀3年(772)に当地に移されました。その遷座にまつわる伝説に、1夜にして3本の大杉が出現するという夢のお告げを里人達が見て、それを「夜の間の杉」と言い伝えています。御神木前には鈴が設置されていて、鈴には長いヒモがつながっており、力強くヒモを引くと遠くで鈴が鳴るシステムとなっています。山門前には正福寺桜という珍しい桜もあります。
非常に大きな立派な神社です。駐車場もありますので便利です。周囲の住民の方も気さくな方が多いみたいで,心が癒やされました。
毎年、参拝しています。2年連続「大吉」でした😆
| 名前 |
御形神社(式内社・旧縣社) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0790-74-0013 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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御形神社(みかたじんじゃ)。兵庫県宍粟市一宮町森添。式内社(小)、旧県社。主祭神:中殿 葦原志許男神(あしわらしこをのかみ、大己貴命)左殿 高皇産靈神 素戔嗚神右殿 月夜見神 天日槍神資料によると、『播磨国風土記』宍禾郡の記載にある、御方(御形)の郷の地名の由来に以下の記述。天日槍命と葦原志許乎命が、黒土の志爾嵩に至りおのおの黒葛を三条(みかた)を投げて支配地を決定した。天日槍命の投げた三条は、すべて伊都志(出石)に落ちた。葦原志許乎命の投げた黒葛は、一条が但馬の気多の郡に、一条は夜夫の郡に、そして、最後の一条が御方に落ちたため、三条(みかた:御方・御形)という地名となった。天日槍命の投げた黒葛が出石に落ち、天日槍命を祭神とする出石神社があり、気多郡に葦原志許乎命を祀る気多神社が鎮座し、養父郡にも、大己貴命を祀る養父神社が存在。そして、御方の地に葦原志許乎命を祀る当社が鎮座する。また、『播磨国風土記』には伊和大神が形見として、自分の杖を植えられたため、御形とするという記述もある。当初は当社の南東にある高峰山山頂に鎮座していたが宝亀三年(772)、御方里の山神社鎮座の小森に一夜にして三本の大杉が鼎立する夢のお告げによって、社殿を造営し、現社地に遷座。式内社・御形神社に比定される古社。明治三十六年までは高見大明神とも称されまた、高皇産靈神を祀る社として「タカミさん」とも呼ばれ、三方東一宮とも称されていた。明治十九年に県社に列格してからは、単に県社ともよばれるようになった。本殿は、宍粟市で唯一の国の重要文化財指定の建造物。室町時代後期、大永7年(1527年)の建立。三間社流造、檜皮葺。建立年代が明らかな中世神社建築の一例として重要であるとあります。