歴史を感じる善光寺参拝。
浄土宗西山禅林寺派 遍照山 時光寺 (播磨善光寺)の特徴
建長元年創建の浄土宗寺院で歴史を感じるスポットです。
海中から引き上げた阿弥陀如来が本尊となる神聖な場所です。
平成28年参拝の西方48願所47番に位置し、特別な巡礼地です。
播州の善光寺らしいです。
歴史あるお寺で、趣あり。
浄土宗の寺院で、建長元年(1249)に海中から引き上げた阿弥陀如来を本尊として創建されたという。時光寺に三度お参りすると信州善光寺に一度お参りした功徳があることから「播磨善光寺」と呼ばれる。高砂市伊保東一丁目に、時光寺の本尊を川から引きあげた網を埋めた所に建てたという網堂がある。
2008年5月31日に、彼は西部に参加しました。(原文)平成28年5月31日参拝 西方48願所47番。
平成28年5月31日参拝 西方48願所47番。
| 名前 |
浄土宗西山禅林寺派 遍照山 時光寺 (播磨善光寺) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
079-447-1134 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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浄土宗西山禅林寺派の寺院です。通称「播磨の善光寺」と呼ばれ、地元の人々に親しまれています。「時光寺への三度の参詣は、善光寺への一度の参詣に当たる」と言い伝えられるほど、古くから信仰を集めてきた名刹です。時光寺の創建は、建長元年(1249年)に時光上人によって開かれました。時光上人は俗名を源経家といい、清和源氏の嫡流・源満仲の九代の子孫にあたるとされます。修行中に高僧のお告げを受け、播磨灘の海中から阿弥陀如来像を引き揚げ、これを本尊として寺を建立したのが始まりとされています。その後、建長6年(1254年)には後嵯峨上皇の勅願寺となり、広大な寺領を寄進されました。しかし、延元年間(1336~1340年)や天正の兵乱(1580年)など、度重なる戦火により堂宇は焼失しましたが、その度に再建されてきました。現在の本堂は慶長13年(1608年)に領主・池田輝政によって再建されたものです。慶安元年(1648年)には三代将軍家光より寺領二十石の御朱印が下賜され、元禄年間(1688~1704年)には開山堂が再建されました。寛政3年(1791年)には楼門が再建され、天保3年(1832年)には本山より小本寺格に列せられ、末寺十ケ寺、塔中五ケ寺を統べるまでになりました。明治40年(1907年)には、日清・日露戦争の戦没者追悼のために大仏が建立され、開眼供養が行われました。開山以来43代の法灯を伝え、堂宇十余棟、寺宝什器多数を蔵する歴史ある寺院です。海中から引き揚げられたとされる本尊の阿弥陀如来像は、右腕がないのが特徴です。伝承では、魚を救うために右腕が海中に残ったままだと言われています。寛政3年(1791年)に再建された八脚楼門式の山門は、江戸時代後期の建築で、両脇には四天王が祀られています。四天王像は、平安から鎌倉時代の作かと思うような様式で、彩色もよく残っています。本堂の隣には、明治時代に戦没者追悼のために建立された青銅製の大仏があります。県指定文化財である宝篋印塔は、南北朝時代後期(康暦二年、1380年)に造立されたもので、特に金剛界四仏の種子が薬研彫りされているのが特徴です。