藁葺き屋根の兵主神社、趣ある参拝を!
兵主(ひょうす)神社(式内社・旧縣社)の特徴
藁葺きの拝殿が魅力的で、新鮮な印象を与える神社です。
創建は延暦元年(782年)で、1300年の歴史を誇ります。
黒田勘兵衛ゆかりの地で、秋季例祭の出店も楽しめます。
藁葺き屋根の神社が良かったです。
兵庫県西脇市にある兵主神社ですね。近くに来たので寄ってみました。神社は784年(延暦3年)頃に創建された凄く古い神社ですね。また、拝殿が全国でも珍しい安土桃山時代の建築様式を採用された茅葺き屋根の建物のようで兵庫県の重要文化財に指定されてます。その他、黒田官兵衛の名前も出てきますので戦国時代から繋がりが有りますね。神社からJR黒田庄駅方面に向かうと踏切の近くに大きな鳥居が有りますよ。駐車場は神社の隣に有ります。JR黒田庄駅から徒歩約5分くらいです。
黒田庄の南部にある大志野の氏神。「ひょうすさん」と呼ばれ、親しまれる。凄いのが拝殿の藁葺きの屋根。非常に見事である。安土桃山時代の建築。葺き替えが現在でも続いており、地元の人に慕われている神社ということがよくわかる。奈良時代、播磨の国の役所に建築担当として赴任した岡本修理大夫により森林を開拓して社殿が築かれ、2年後に奈良県桜井市穴師の兵主神を分霊したとされる。戦国時代には、羽柴秀吉が中国攻めで三木城の別所長治を攻める際、家臣で軍師である黒田官兵衛が戦勝祈願で灯明田を寄進。灯明田は、灯籠に使う油代に使うために貸し出す田んぼのこと。拝殿はその奉納金によって改築された。祭神は大己貴(おおなむち)命。大己貴命は出雲の国づくりの神である大国主(おおくにぬし)命の青年期の名前。兵主は中国の武神で日本では大己貴命として祀られる。
御朱印が欲しいのですがなかなか頂けないですね~。
藁葺きの拝殿が、新鮮です。黒田官兵衛が、寄進した神社ということで、じーんときます。無住で、御朱印、御守り等ないのが、寂しいです。
駐車場は神社横にあります。創建年月は不詳。本殿は桃山時代再建、大正13年国宝指定から現在は重要文化財となっています。本殿の三間社流造桧皮葺は素晴らしいです。目の前に広がる池にもほっこりしました。
落ち着きのあるすばらしいお宮さんでした。
知り合いがいるので、時々お祭りに行ってました( ´∀`)とても趣があり すっきりとした 良い神社です(^_^)v最近は行っていないので、また行きたいなと思います(^^♪ちなみにここは ウルフルズのトータス松本さんの氏神様でもあります(*^^*)今ラジオで言っておられました(^_-)ちょっとビックリしました(*^^*)なんだか嬉しいლ(´ڡ`ლ)
主祭神:大己貴命配祀神:八千戈命/葦原醜男/大物主命/神清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠命創建は延暦元年(782)と伝えられています。大和国から播磨国の国衙(こくが)に赴任した岡本修理大夫により森林を開拓して社殿が築かれ、2年後の延暦3年(784)、大和穴師の兵主神を勧請したと言われています。拝殿は全国的にも珍しい安土桃山時代の建築様式の茅葺入母屋造の長床式で、棟札によれば天正19年(1591)に改築されたとの事です。昭和52年(1977)3月には兵庫県の重要文化財に指定されました。1つ気になりましたのが、主祭神の大己貴命と、配祀神の葦原醜男は同一神と言われている事です。当社にとっては、別々の神として崇敬しているのかもしれません。拝:2020/07/31
| 名前 |
兵主(ひょうす)神社(式内社・旧縣社) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0795-28-2284 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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兵主神社(ひょうすじんじゃ)。兵庫県西脇市黒田庄町岡。式内社(小)、旧県社。地元では「ひょうすさん」とよばれる。主祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)配祭神:八千戈命(やちほこのみこと)葦原醜男(あしはらのしこお)大物主命(おおものぬしのみこと)神清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠命(すがのゆやまぬしみなさるひこやしましのみこと)「大己貴命」「八千戈命」「葦原醜男」「大物主命」四柱は全てオオクニヌシの別名。清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠命とは、スサノオとクシナダヒメとの間に生まれた子です。オオクニヌシの祖の一柱ではあるものの、この神が祀られている理由は不明。資料によると、兵主神は、漢の高祖が「蚩尤(シユウ)」を祀り、勝利を祈った事に由来するとされ、貝塚茂樹によれば鍛冶屋神(武器製造の神)であるとする見方もある。社伝では、延暦元年(782年)、大和国から播磨国の国衙に赴任した岡本修理大夫により、森林を開拓して社殿が築かれ、2年後の延暦3年(784年)、大和穴師の兵主神を勧請したとされる。穴師神社については、『日本の神々2』によれば「左座 八千戈命 亦曰大国主命 神体広矛 兵主伊豆戈神是也」 と『大国主命分身類社鈔』に記されており、このことから中世には兵主神を八千戈命と関連付けられていたと推測されている。『延喜式』神名帳に記載される各「兵主神社」の神も兵器の神として祀られたことが考えられ、これが「蚩尤」と同一かどうかは検討の余地があるものの、或いは渡来系の人々のもたらした新しい製鉄技術に伴い兵主神(蚩尤)の信仰がもたらされ祀るようになったのかもしれません。当社においては上述のように奈良時代後期に国司が赴任元の大和国から神を勧請したことを伝えています。拝殿は全国的にも珍しい、安土桃山時代の建築様式の茅葺入母屋造の長床式で、棟札によれば天正19年(1591年)に改築されたという。戦国時代には、羽柴秀吉の三木城(別所長治)攻めの際に、臣下の黒田孝高が戦勝祈願のため灯明田を献納し、拝殿はその際の奉納金によって改築されたと伝えられ、1977年(昭和52年)3月には兵庫県の重要文化財に指定されている。とあります。参考として、兵主神とは中国の神である「蚩尤(シユウ)」と同じとされ、その姿は半獣半人で、獣の身体で頭に角が生えているとも、また人の身体で牛の頭と鳥の蹄を持つとも言われており、石と砂を食べると言われています。石と砂を食べる様子はまさしく鉄鉱石や砂鉄を原料として鉄製品を製造する様子を神格化したもので、蚩尤は製鉄の神であり、また鉄によって製造された兵器の神ともされました。とあります。