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名前 |
庭園跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
西郷隆盛の終焉の地を周る旅(鶴丸城跡の)庭園跡明治5年撮影の庭の風景が素晴らしい!別邸である仙巌園の素晴らしさは、現代でも堪能できますが、鶴丸城でも庭園が整備されていたのですね。以下、説明文より明治5(1872) 年、明治天皇が鹿児島を行幸した際、同行した写真家内田九一が鹿児島 ( 鶴丸 ) 城の内外を撮影しました。城内の写真の中には、庭園の様子を撮った写真が含まれており、奥御書院の姿とともに池や滝、立石などが配置された端正な庭園の様子を今に伝えています。発掘調査の結果、立石や玉石などが確認できたことから、この写真に写っている庭園の一部が土中に残っている可能性が高いことが分かりました。この鹿児島 ( 鶴丸 ) 城の庭園を構成していた石材は、昭和の初めに旧制第七高等学校のプール建設のため鹿児島市の公会堂 ( 現在の中央公民館 ) と鹿児島市鴨池動物園の庭園に移設されました。その後、鴨池動物園に移設された石材は、鹿児島県歴史・美術センター黎明館の開館にあわせて再び当地に戻り、城山遊歩道近くの御池に設置されました。