周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
その昔、明治11年以前は与論島では死者が出ると風葬を行っていた。遺体はハンシャ(岩下/崖下)と呼ばれる崖に葬られ鳥などの生物によってつつかれ、骨になっていった。その後、衛生面の懸念から風葬禁止令が出され、土葬になった。日本本土の土葬との違いは、与論島では土葬して3〜5年経過した後、白骨化したのちに一度掘り起こされ洗骨して骨壺に移し替え改めて葬る。本土はそのまま(棺が朽ちて墓が下がって来ると埋め直すけど)なので、与論島は死者を二度葬る。先祖に対する思い入れがことのほか慈しみ深いのが、与論島である。火葬場、昇龍苑は2003年に完成し、いまでは火葬を選ぶ家族もいる。