歴史感じるすすきの逸品。
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豊臣方の武将である木村重成の首級をこのすすきのご先祖さまのすすきに包んで井伊家の家臣安藤某が自陣まで持ち帰ったんやとしかし…そんな謂れのあるすすきやったらもう少しちゃんと保存出来んもんやろかー😓
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| 名前 |
血染のすすき |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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慶長2年(1615)大坂夏の陣に、徳川軍先鋒を命ぜられた井伊直孝は、二代藩主直勝に代わって5月6日払暁大阪城を遙かに望む玉串川(現大和川)の若江堤に陣を進めた。早朝からの合戦に多くの兵を失った豊臣方の名将、木村長門守重成(槍の名手)は、若干24歳の若武者であったが、大阪城もこれまでと、直孝の本陣に最後の突撃を敢行した。この時、彦根藩士安藤長三郎は、重成の首級を挙げたが、香を焚きしめた兜をつけた姿に、敵将ながらその死を悼み、若江堤に茂るすすきに包んで持ち帰り、安藤家の菩提寺宗安寺に手厚く葬り、すすきは佐和山神社(井伊家祖霊社)の社前に「重成血染めのススキ」として植えられた。