敦盛塚、歴史の静寂と共に。
史跡敦盛塚の特徴
平敦盛を偲ぶ供養塔は、立派な五輪塔として有名です。
静寂な環境で歴史の重みを感じられる場所です。
源平の戦いにまつわる伝承が込められた歴史的価値の高いスポットです。
山陽電車須磨浦公園駅から国道2号線を明石方面に向かって歩くと、立体駐車場のとなり、敦盛そばさんの奥です。
須磨浦公園駅から徒歩で五分程度。国道2号の傍に余り目立たなく有ります。訪れた時には、私たちだけでした。
国道沿い、少し奥にひっそり佇む敦盛塚。立派な五重塔です。
敦盛公を弔った塚とも、執権北条貞時が平家一門を弔った塚とも言い伝えられています。※北条氏も平家一門奥に回ると小さな五輪塔ごら2基ひっそりと存在する。綺麗に手入れされていが恐らく手前の「敦盛そば」さんがお世話しているのかな?蕎麦屋や寿司屋にあるような湯呑みがお供えされていた。
なかなか見つけにくい場所に建っているけど、歴史的価値はかなり高いものだと思う。源平合戦のハイライトのひとつの一ノ谷の戦いでの敦盛の討死。敦盛塚は室町〜桃山時代の製作とされる五輪の塔。中世のものでは日本で二番目に大きいとされ、埋没してたのを昭和60年代に発見され地表へ現したらしい。須磨寺や須磨浦公園、また鵯越のあたりに一ノ谷の戦いに纏わる史跡があるが、そのなかでもこの中世に供養のために建てられたこの五輪の塔が群を抜いて貴重なものって感じがする。地味だけどホンモノ感。
☆織田信長が好んだ節「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」幸若舞の演目の一つ『敦盛』の一説🤔☆源平の戦い「一ノ谷の戦い」、初陣、弱冠16才で散った平家の若武者「平敦盛」の供養塔(胴塚)との伝承、室町時代後期に建立、中世の五輪塔では全国2番目の高さ3.5m、目の前が国道2号線でも、須磨浦を望む静寂な地✨
石造五輪等の梵字の迫力は凄い!須磨浦公園駅から、100mほど、案内板が優しく案内してくれます。
一ノ谷の戦いで倒れた平敦盛の供養碑。日本で2番目に大きい五輪塔。裏手のイチョウが紅葉🍁して良い感じでした。
国道と鉄道に挟まれれ、ひっきりなしに往来する車と電車の喧騒の中に建っています。しかし、この国内で2番目に大きな五輪塔の前で手を合わせ、若くして散った武者の生き様に思いを馳せると、心は静寂に包まれました。
名前 |
史跡敦盛塚 |
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ジャンル |
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電話番号 |
078-322-5339 |
住所 |
〒654-0076 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町5丁目4−18 |
評価 |
4.0 |
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隣にある敦盛そば屋の灯籠が「ようこそおまいり」言ってくれた。平家物語の名場面「敦盛最期」は約840年前か…また改めてここを訪れたい。