一遍上人の終焉の地、神戸で探訪!
一遍上人廟所の特徴
踊り念仏で著名な一遍上人の祖廟があります。
一遍上人が亡くなった場所として知られています。
鎌倉時代中期の僧侶、一遍上人の終焉の地です。
真光寺の一角にある廟所。時宗の開祖・一遍上人の終焉の地と伝わります。踊念仏を唱えながら各地を行脚してまわった一遍上人は、現代からはもう遠い時代の人。それでもここに廟所が設けられ遺骨がしっかりと守られているのは、それだけ一遍上人を慕う人が多数いたことを示唆しているのでしょう。
一遍上人が神戸で亡くなっていたのは意外。御廟所は綺麗に掃き清められていました。阪神大震災で倒壊し遺骨が出てしまった様ですが、鑑定しないで戻したのでしょうか?
踊り念仏で有名な時宗の開祖、一遍上人の祖廟があろうとは・・。全く知らなかった。
■一遍上人廟所一遍(いっぺん)は延応元年(1239)~ 正応2年(1289)は鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。正応2年(1289)8月23日、一遍上人は兵庫の観音堂(現·真光寺)で遊行の生涯を終える。「一代の聖教(しょうぎょう)みな尽きて南無阿弥陀仏になりはてぬ」と南無阿弥陀仏を称える以外、人々の救われる道はないことを説く、最後に「我(が)門弟におきては葬礼の儀式をとゝのふべからず。野に捨ててけだものにほどこすべし」と言い残したとある。●真光寺の境内で御廟所は此処だけ別格に白塀でぐるり囲まれ門扉もある。潔い一遍上人の云う臨終の言葉は深い。
一遍上人が亡くなった場所と言われているが。全国を旅して、ここで亡くなったのか。なかなか立派な供養塔が建っています。
一遍上人の終焉の地旅をしているとよく出会う名前に、一遍上人がある。他にも西行や芭蕉の痕跡にもよく出会う。今回も兵庫津を歩いていたら真光寺で一遍上人の名前に出会った。16年間の遊行の結果の疲れと栄養失調のためこの地で51年の生涯を終えた、と言われている。
| 名前 |
一遍上人廟所 |
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| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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一遍上人が供養されている五輪塔があります。