坂を登れば、東灘絶景!
保久良神社の特徴
六甲山頂への途中地点に位置する、歴史ある保久良神社です。
登る道中の景色は爽快で、運次第で猪に遭遇も可能です。
カタカムナ所縁の神社で、境内からは東灘の街並みが一望できます。
道中ずっと坂道が続きます。足元はしっかりとした靴がおすすめです。鳥居の前からの眺めは大変綺麗でした。境内は厳かな雰囲気に包まれておりました。
六甲山ハイキングの途中で寄らせてもらいました。灘の灯台、立岩など、歴史を感じられる場所です。道中の坂道は急勾配ですが、地元の方もたくさん訪れており、親しまれている場所なのだと感じました。歩くスピードにもよりますが、阪急岡本駅から徒歩で30〜40分くらい見ておけば到着すると思います。
阪急岡本駅から30分ぐらいで登れる保久良神社です。ちょっとしたハイキングコースにもなっています。この神社からの見晴らしは非常に良いです。但し、急な勾配もあるのでそれなりの服装をして登る事をおすすめします。保久良神社は保久良神社参道口からも登れますが、岡本八幡神社横の天上川公園からも登れます。どちらから登って、別な方に降りると色々な景色が見られます。山頂には保久良梅林や保久良夢ひろばなどがあります。
かわいー干支がお出迎えしてくれました。登るまで片道30分 登ってよかった!かなり急勾配です。トイレは、岡本駅なら南側しかトイレないので改札出る前に、済ませてから登るのがいいのと、飲み水必須。岡本駅南口には、コープもあったよ! 岡本駅北口からの方が近いかな。
早朝参拝をさせていただきました。なかなかの傾斜で登りは非常にキツいです。結構な数の神社を参拝させてもらってますが、ベスト3にラインクインするぐらいです。参拝というよりもほぼハイキングをイメージした方が良いかもしれません。登りきったのちに素晴らしい、灘の一つ火とパノラマの景色が出迎えてくれます。鳥居をくぐると本殿まで真っ直ぐに伸びた参道、手入れも良く行き届いており、すばらしい空気感です。地元の方は手水する人が少ないし、散歩中の犬もそのまま境内に入れちゃうので少し気にはなりましたが。笑駅からの徒歩だと参拝時間も含めて1時間は見ておいた方が良いと思います。駐車場ですが、岡本駅の山側に数カ所ありますので、そこを利用されると便利かと思います。
ロックガーデンや六甲山頂への途中地点。保久良神社だけの登山でも楽しい。鳥居前からの神戸の景色はキレイで、天気が良ければ和歌山方面まで見える。でも、上りは意外とキツイ💦
須佐之男神、大歳御祖神、大国主命、椎根津彦命を祭祀にしている歴史ある神社です。車では行けず、徒歩で急な坂を登ることになりますので、暑い日の日中はかなりきついと思います。運が良ければ(?)、猪に出会えます。その時は決して、食べ物が入った袋などを見せないようにしてください。保久良神社の前に「灘の一つ火」と呼ばれる石灯篭があり、そこからの眺めは最高です。御朱印は麓の鷺宮八幡神社にていただくことが可能です。
阪急岡本駅から30分程度、途中から急な坂を上がった神社です。GWに行きましたが、神戸の景色が良く、新緑が気持ちよかったです。巨石の遺跡があり、ちょっとした雰囲気があります。
気持ちの良い神社です。本殿に近い方から干支像が子丑寅...と並び、鳥居に入ってすぐの入口にはこの辺でよく出没する亥(いのしし)君が出迎えてくれます。紀元前200年位前から古代の祭祀場所として使われたこの地には、あちこちに散らばっている(配置されている?)大きな磐座がいくつもあり、特別な場所であったことが伺えます。うねうねと曲がったり合体している迫力あるヤマモモの樹はまるで古代の聖域を守っているようです。青亀に乗る浦島太郎のような椎根津彦命は神武天皇の東遷の際に明石海峡を先導したとのこと。なるほど、境内の八代(大)龍王様はきっと海の神様なのですね。その頃は海がもっと近くに迫っていたのではないかと思います。頂上へ通じる山の道は六甲や有馬にもつながっているそうで、時間と体力に合わせて距離を調整できそうです。登ってくる人は結構いらっしゃいます。古代文字カタカムナ発祥伝説があるこの神社、山頂近くの開けた休憩所でエネルギーワークをしているグループもありました。1週間前には満開だったという桜は葉桜でしたが、これからはもみじの新緑がますます美しくなる季節になってきそうです。途中、金色の体毛のいたち?が跳ねてました。幸いこの日はイノシシには遭遇せず、ホッとしています。帰り道の豪邸ウォッチングも楽しかったです。
| 名前 |
保久良神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
078-411-5135 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
保久良神社(ほくらじんじゃ)。兵庫県神戸市東灘区本山北町。式内社(小)、旧郷社。主祭神:須佐之男命 (配祀)大歳御祖命 大国主命 椎根津彦命(しいねつひこ)元来椎根津彦命が主神として奉齋せられていたと思われる。椎根津彦は、日本神話に登場する神。神武東征において登場する倭国造(倭直部)の祖、または大倭国造、大倭直の始祖。【関係氏族】大和連資料によると、六甲山系の中腹に鎮座する。境内からの見晴らしはすこぶる良い。保久良神社のすぐ北方から、弥生時代の高地性集落が見つかっており、保久良神社もおそらくこの高地性集落の一部ではなかったかと推測されている。社名もこの場所から多数の弥生式土器の破片や石器類、銅戈が出土し、又古代祭祀の遺蹟地であった・祭祀用具の収藏庫即ち、秀倉(ホクラ)、神聖な収藏庫のある場所から発祥した名称ではないかと思われる。社殿の周りには巨岩の磐境群がある。境内の南西部「立岩」、社殿西方に「神生岩」、東側には「三交岩」と称する巨石がある。参道を通り抜けた南端、崖の際に「灘の一つ火」として崇拝されてきた灯明台があり、昔から航海者の一針路となつていた。神火をかかげて一日も絶えず奉仕をつづけてきたのである。保久良神社由緒書によると「社名の起因も1、椎根津彦命の子孫たる倉人水守等が祖先を祭祀し奉る 2、三韓役の戦利武器を収蔵するより」とあり、元来の主祭神は神武東征時速吸門(明石海峡)に現れて軍勢を先導した椎根津彦命である。椎根津彦命は保久良神社の南に位置する神戸市東灘区の青木(おおぎ)の浜に青亀(おうぎ)の背に乗ってこの浜に漂着したという伝承があり、それが青木の地名の由来となった。吉井良隆は当社を「椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長であったとされ、西宮夷の奥夷社の元宮」と推測している。とあります。