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名前 |
水呑井上記念館 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
慶應ニ年(1866年)十一月三日水呑村に生まれる。名前は森田留八・幼名は関太郎、故あって井上姓を継ぐ。明治ニ十四年(1891年)職を鉄道廰に奉じ、後に実業界に入り産をなす。明治四十四年(1911年)広島懸会議院にニ回選出され、而も推されて議長の経験もある。大正十三年更に衆議院議員に当選する。鞆鉄道株式会社(専務取締役)となり専から同社の発展に努力する。昭和十年(1935年)の始め病いを得再起不能を知ると広壮の家屋土地全部と金五千円とを本村に寄附し広島市に移り、同年三月十ニ日七十才を以て終。公民館、保育所、健康保険診療所のある処は其の寄附せし土地なり。昭和十一年(1936年)水辺庭園に建つ井上利八翁胸像ともに同氏の遺徳を偲ぶ事が出来ます。他に昭和ニ十ニ年(1947年)八月一日水呑町制記念碑が建っている。参考資料・文献水呑町史・水呑のあゆみ。