JR伊丹駅前の歴史探訪、有岡城跡。
有岡城跡の特徴
有岡城跡は荒木村重の居城で、歴史的背景が深い場所です。
JR伊丹駅からすぐの便利な立地にあり、石垣やお堀の遺構が見どころです。
荒木村重と黒田官兵衛をめぐるエピソードが語られる、貴重な史跡です。
真田戦記有岡城(伊丹城)兵庫県伊丹市伊丹1丁目12本年度の初戦は地味ながら有岡城に向かいました。この城は織田家臣・荒木村重の城として有名ですが、何より黒田官兵衛が1年以上幽閉されていた城として有名です。黒田官兵衛はこの幽閉が尾を引いて晩年は片足を患いました。さて城主の荒木村重ですが一度は織田家に臣従し、武功をたてましたが、本願寺・毛利の調略に乗ったのか、何を思ったのか急に織田家に反旗を翻しました。明智光秀や黒田官兵衛の説得にも応じませんでした。1年間籠城しましたが、信頼していた高山右近・中川清秀らが織田方に帰参した為劣勢に陥り天正7年(1579年)9月に単身で尼崎城に脱出しました。残された婦女子122人は尼崎付近で処刑されました。JR伊丹駅やイオンモールが隣接しており、今はひっそりと生活空間の一部となっています。
JR伊丹駅から阪急伊丹駅の間、有岡城跡を始め、12月5日から25日、17時から21時 まちなかイルミネーションがあちらこちらで開催されてました。神戸三宮のルミナリエの様にまだ知られていませんが、子供達は道に映された映像を追いかけ楽しでいました。
2022.10.12伊丹駅を降りると石垣が見える。何回も通ったことがある場所だが、中に入ったのは2回目だ。伊丹台地の東の縁に建てられたお城で、JR伊丹駅を出ると駅前の道を越える陸橋があり、その先は陸橋よりも高い位置で地面が続く。高低差があり台地であることを実感できる。城は石垣や井戸、土塁が残るだけとなっている。当時はすぐ近くを猪名川が流れていて、尼崎まで荒木村重は下ったに違いない。戦国時代の城だから建物の詳細は残ってないだろうが、お城風の歴史博物館でも建てれれば、尼崎城的なランドマークになるだろう!?
荒木村重の居城で、城壁とお堀の一部が残っているだけで何もない。JR伊丹駅のすぐそばで、城跡と気付かずに通り過ぎる人も多い。周辺には関西スーパーやニトリ等も有って、昔の遺跡と近代的な建物のマッチングが妙にあっている景観。
JR伊丹駅の前に有岡城跡の石碑があります。鎌倉時代の時からお城はあったみたいです。織田信長の命令でお城の名を伊丹城から有岡城に改名されてます。黒田官兵衛が幽閉されていたお城です。遺構は土塁や石垣が遺っているみたいです。伊丹は酒蔵や昔の街並み等がありますので、観光には良い場所です。
有岡城本丸の一部と思われる。本丸東側は明治時代に、大きく削平され原形は無い。城の範囲は南北1.7km、東西0.8kmで南北に細長く、防御の要所に3つの砦が配置され、北に「きしの砦」(現猪名野神社付近)、西に「上臈塚砦」(現墨染寺付近)、南に「鵯塚砦」が築かれていた。城の東側を流れる伊丹川との間は崖になっており、さらにその東側には駄六川と猪名川が流れており、これらの河川が天然の要害となっていた。西側と南側は人工の堀を設け、東西0.8km、南北1.7kmもの総構えとなっている。総構えの構造は、荒木村重が大改修によって完成させた。織田信長の大軍による攻撃にも一年にわたって耐えるほど強固な構造であった。
色々な人間模様が交錯して有岡城の姿がないのがよくわかりました。普段行かない場所だったので行けて良かった。
伊丹駅前に有岡城の土塁、石垣、堀など遺構が残されていて、公園になっていました。荒木村重公ゆかりの地でも有りました。
織田信長に背き攻め滅ぼされた荒木村重の城跡です。今は見所はあまり無いですが歴史を感じることは出来ます。説得にきて幽閉された黒田官兵衛ゆかりの藤等は興味深いです。
名前 |
有岡城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-784-8090 |
住所 |
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評価 |
3.5 |
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戦国時代のハイライトのひとつである有名なお城だけに、訪れたかった城跡でした。荒木村重が抗い、黒田官兵衛が苦しんだところ。全く期待はしていなかったけど、何かいい。石垣の一部は当時のままとのことでしたが、この礎石も?切岸も?駅までの通路が堀切みたいになっていたり、駅前の道路が空堀っぽかったり、雰囲気でていますね。開発した人センスあります。