歴史の舞台、伊丹の城跡。
有岡城跡の特徴
有岡城跡は荒木村重の居城で、歴史的背景が深い場所です。
JR伊丹駅からすぐの便利な立地にあり、石垣やお堀の遺構が見どころです。
荒木村重と黒田官兵衛をめぐるエピソードが語られる、貴重な史跡です。
戦国の天正11年(1583)に滅びた城が有る。織田信長の配下、荒木村重が城主だった有岡城、信長に従い武功を挙げている。だが、突如反乱を起こし、1年に渡って攻防の末、城は陥落となる。何故、反乱したのか?諸説有りハッキリとしないが、そこは磯田道史さんに任せておこう😊石垣、土塁、堀の跡が残る。城趾には井戸の跡も見える。今は国の指定文化財となり管理も行き届いています。その中に2つの歌が詠まれた碑が建っています。「霜がれに残りて我は八重むぐら なにわのうらのそこのみくずに」私は霜で枯れた雑草の様なもの、難波の海のくずになるでしょう。村重の妻たしさんが詠んだ歌です。その横に「思いきや天の架け橋ふみならし なにわの花も夢ならんとは」と…理想の世の中への架け橋を踏みならして来たが、難波の花もはかない夢になるとは…村重が詠んだ歌、いやぁ本当に儚いわ😢歴史が詰まった城趾です。
城の遺構はほとんど残っていないですが、戦国時代はかなり巨大なお城だったそうです。織田信長に反乱を起こした荒木村重は1年以上この城に立てこもっていました。村重に説得に訪れた黒田官兵衛が幽閉されたことでも有名です。
伊丹段丘の東端、猪名川に接した地形にある城。国指定史跡。織田信長に気に入られ、池田氏・伊丹氏に台頭して摂津守護となるも、信長に謀反を起こした荒木村重が本拠としていた城。本来は伊丹氏の居城で伊丹城と称していましたが、伊丹氏が荒木村重によって滅ぼされるた荒木村重の城となり大規模な改修がされます。侍町や町屋地区も堀や土塁で囲んだ惣構えと呼ばれる長大な縄張りを持った城でしたが、荒木村重が落ち延びた後にほどなくして廃城に。その後の開発もあり、城だった面影は無くなっていきます。伊丹駅前に主郭部と堀の一部が僅かながら残されています。曲輪を登っていくと、説明板や井戸跡が、奥には当時の石垣の一部があります。転用石が用いられた石垣で、荒木村重が改修を行った際の石垣かと思わせます。専用の駐車場はありませんので、近くの有料駐車場を利用することになります。路駐が出来なくもなさそうですが、人も車も多いのですし保証出来ません。
戦国の歴史のキーポイントの一つでもある、イベント拠点。雰囲気は感じるのだけれども、と、行った感じ。数ある駅前の城趾のなかでも、遺っていれば相当なものなのだが。ここも、公園化としてる。掘れば、いろいろ出てくるまのかな?駅前ぐるっとひと回り。村重さんの、往時が偲ばれる。
戦国時代のハイライトのひとつである有名なお城だけに、訪れたかった城跡でした。荒木村重が抗い、黒田官兵衛が苦しんだところ。全く期待はしていなかったけど、何かいい。石垣の一部は当時のままとのことでしたが、この礎石も?切岸も?駅までの通路が堀切みたいになっていたり、駅前の道路が空堀っぽかったり、雰囲気でていますね。開発した人センスあります。
真田戦記有岡城(伊丹城)兵庫県伊丹市伊丹1丁目12本年度の初戦は地味ながら有岡城に向かいました。この城は織田家臣・荒木村重の城として有名ですが、何より黒田官兵衛が1年以上幽閉されていた城として有名です。黒田官兵衛はこの幽閉が尾を引いて晩年は片足を患いました。さて城主の荒木村重ですが一度は織田家に臣従し、武功をたてましたが、本願寺・毛利の調略に乗ったのか、何を思ったのか急に織田家に反旗を翻しました。明智光秀や黒田官兵衛の説得にも応じませんでした。1年間籠城しましたが、信頼していた高山右近・中川清秀らが織田方に帰参した為劣勢に陥り天正7年(1579年)9月に単身で尼崎城に脱出しました。残された婦女子122人は尼崎付近で処刑されました。JR伊丹駅やイオンモールが隣接しており、今はひっそりと生活空間の一部となっています。
JR伊丹駅から阪急伊丹駅の間、有岡城跡を始め、12月5日から25日、17時から21時 まちなかイルミネーションがあちらこちらで開催されてました。神戸三宮のルミナリエの様にまだ知られていませんが、子供達は道に映された映像を追いかけ楽しでいました。
2022.10.12伊丹駅を降りると石垣が見える。何回も通ったことがある場所だが、中に入ったのは2回目だ。伊丹台地の東の縁に建てられたお城で、JR伊丹駅を出ると駅前の道を越える陸橋があり、その先は陸橋よりも高い位置で地面が続く。高低差があり台地であることを実感できる。城は石垣や井戸、土塁が残るだけとなっている。当時はすぐ近くを猪名川が流れていて、尼崎まで荒木村重は下ったに違いない。戦国時代の城だから建物の詳細は残ってないだろうが、お城風の歴史博物館でも建てれれば、尼崎城的なランドマークになるだろう!?
荒木村重の居城で、城壁とお堀の一部が残っているだけで何もない。JR伊丹駅のすぐそばで、城跡と気付かずに通り過ぎる人も多い。周辺には関西スーパーやニトリ等も有って、昔の遺跡と近代的な建物のマッチングが妙にあっている景観。
| 名前 |
有岡城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
072-784-8090 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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この有岡城跡は兵庫県伊丹市のJR 伊丹駅西方面にある。現在は有岡城史跡公園になつていて、国指定史跡である!本日、ナビ-に従い城跡辺りに来たが、人通りが激しく、駐車する場所に困つた次第である!?その時、ビル内の駐車場が見えたので一目散で入って行つた。このビル回りが有岡城跡であり、ラツキ-であつた!?この有岡城跡は全体的に丘陵上に縄張りがあり、荒木村重が天正二年(1574年)に伊丹氏を攻め取り、城下町全体を堀と土塁で囲んで[惣構え構造]にしたのである!この時、有岡城と改称する!別名は伊丹城。しかし、織田信長と決別し、天正八年(1580年)に羽柴(豊臣)秀吉に攻められ落城する!