日本橋川の新しい魅力、江戸橋を望む掘割。
伊勢町掘跡(西堀留川跡)の特徴
日本橋川近くに位置し、江戸橋を眺められる魅力的なスポットです。
かぎの手状の入堀があり、歴史を感じる独特の景観が楽しめます。
新たに一新された説明文で、より深い理解が得られる史跡です。
設置場所の変更にともない説明文も一新されました。説明文には『伊勢町堀 (西堀留川) 跡日本橋本町一丁目六~八番・日本橋本町二丁目六番 所在地 中央区日本橋小舟町一~四番 日本橋室町二丁目三番・日本橋本町二丁目四~六番 地域江戸時代初期から昭和初期まで、日本橋本町一丁目と日本橋小舟町の境界沿い には掘割(明治中期頃まで「伊勢町堀」と称し、後に「西堀留川」と名称変更)があり ました。この掘割は、日本橋川から北西に入り込み、旧堀留町一丁目(現在の日本橋本町 二丁目7番)の手前で西へと屈曲して旧室町三丁目(現在の日本橋室町二丁目3番) の前で留まる”かぎの手状の入堀〟でした。日本橋地域の中心に位置するこの船入堀 には、穀物や乾物を中心に全国各地から物資が運ばれ、河岸地は荷揚げ場として 大いに利用されていました。米蔵が建ち並んでいた堀の西岸は、江戸に輸送されてきた廻米の陸揚げ地で あったことから「米河岸」 と呼ばれ、鰹節や塩干肴の問屋が多かった小舟町に面 する東岸は、「小舟河岸」と呼ばれていました。さらに、西に折れた入堀の河岸地は、 きたお 周辺に塩問屋があったことから「塩河岸」(明治十年、北岸は「北塩河岸」、南岸は「南塩河岸」の名称となる)と呼ばれていました。江戸時代以来、大量の回澑物資 が集積・荷揚げされたこの掘割 は、明治十九年(一八八六)に西側 に屈曲した入堀部分が埋め立て られ、昭和三年(一九二八)には関東 大震災後の区画整理事業で残り の入堀が埋め立てられてその姿を 消しました。当地の様子を描いた『江戸名所 図会』には、舟運と荷揚げの便が 図られていた頃の挿絵があり、 往時の繁栄ぶりがうかがえます。平成二十六年五月中央区教育委員会』と書かれています。
この掘割は、日本橋川から右手に江戸橋を見て左手に入り込み、旧堀留町一丁目(現在の日本橋本町の前で留まる“かぎの手状の入堀”でした。日本橋地域の中心に位置するこの船入堀には、穀物や乾物を中心に全国各地から物資が運ばれ、河岸地は荷揚げ場として大いに利用されていました。米蔵が建ち並んでいた堀を入って左手は、江戸に輸送されてきた米の陸揚げ地であったことから「米河岸」と呼ばれ、反対側は鰹節や塩干肴の問屋が多かった為「小舟河岸」と呼ばれていました。さらに、掘割を進んで左手に折れた入堀の河岸地は、周辺に塩問屋があったことから、「塩河岸」と呼ばれていました。江戸時代以来、大量の回漕物資が集積・荷揚げされたこの掘割は、明治に屈曲した入堀部分が埋め立てられ、その後、関東大震災後の区画整理事業で残りの入堀が埋め立てられてその姿を消しまた。
| 名前 |
伊勢町掘跡(西堀留川跡) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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工事中のせいか説明の看板が見当たりませんでした。