五条大橋西詰の扇子の故郷。
扇塚の特徴
昭和35年に建立された扇の碑がある場所です。
五条大橋の北西詰に位置し、歴史を感じるスポットです。
扇子作りが盛んな土地として有名な地域です。
私が子供の頃は、ここから木屋町通りを数軒上がった辺りに小さな石碑がありました。平家物語で有名な平敦盛が一の谷で討たれたあと、敦盛の妻が五条辺り(この辺)に住み、扇を折って生計を立てたと伝わります。ちなみに、秀吉の都市計画による改造の前は、いわゆる五条大橋は今の松原橋(松原通り)でした。平安研究の京大の先生によると、牛若丸と弁慶が知り合ったのは五条大橋の上ではなく、五条天神の敷地内(松原通西洞院西入)ということでした。度重なる火災による内裏(京都御所)の移転に加え、京の通りの名前も平安時代からかなり変わっています。加えて、戦時中の強制疎開(空襲時に類焼を防ぐ目的)により、多くの家々を壊し、四条通、五条通、烏丸通、堀川通等は現在の幅の広さになりました。元々はいずれも、六条通と変わらない細さで、牛車が一台通り抜けれる幅を設計の基本にしていました。(身分の低い方が道を譲ります。これを怠ると処罰どうこうの騒ぎになりました。)ちなみに、千本通(二条以南)が原初の平安京の朱雀大路にあたります。
五条大橋に伝わる記。平安時代に扇が作られて、ここ五条大橋で寺僧と共に扇を作ったと言い伝えられている。
五条大橋西詰北側にあります。扇は木簡(もっかん)から派生して作られた日本独自のもので、それがこの地で作られたと言われています。元々このあたり(現在の五条通の南側)に御影堂(みえどう、1284年創建の時宗寺院、正式名称は新善光寺)がありました。平敦盛が戦死したあとにこのお寺に出家した妻(蓮華院尼)と寺僧により、ここで作られた扇は御影堂扇として有名になりました。それ以来この界隈に扇工が集まり、多くの京扇子が作られていったらしいです。なお碑には以下の通りに記されています。=================扇は平安時代 の初期この地に初めて作られたものであるここ五條大橋 の畔は時宗御影堂 の遺跡であり 平敦盛 没後その室本寺祐寛上人によって得度し蓮華院 尼と称し寺僧と共に扇を作ったと言い伝えられているこの由緒により扇工この地に集まり永く扇の名産地として広く海外にまでも喧伝されるに至ったいまこの由来を記してこれを顕彰する昭和三十五年三月十五日 京都市長 高山 義三。
昭和35(1960)年にできた碑。茶道や能楽などの日本文化に欠かせない扇は、この辺りで生まれ、作られてきた、という解釈で良いと思います。
扇塚は五条大橋の西詰・北側にあります。扇の生産の発祥地と言われています。
扇子作りが盛んな土地なんだと実感しました。
京都検定3級の勉強してた時に過去門の中に出てきた場所です。実際に来たことなかったので、訪問してみた。
コナンのチェックポイント(原文)柯南打卡点。
五条大橋西詰北側にあります。
名前 |
扇塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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五条大橋の北西詰にある塚で、扇の名産地となっています。