源義経ゆかりの天日槍尊。
鏡神社の特徴
義経ゆかりの史跡が点在する歴史深い神社です。
元服池の水は牛若丸が使った由緒ある場所です。
国指定重要文化財の本殿がある、静かな信仰の場です。
天日槍命が御祭神で祀られています。新羅と我が国が親密だった事が分かる神です。朱色の明神鳥居は近畿では丹波地方で見られる額束に屋根がついている美しく形をしています。鳥居を抜けると周りの木々が護るかのように国道8号線の雑踏は聞こえなくなり参道は短いですが心が洗われます。手水舎の柄杓は竹で出来ていて侘寂感があって良いです。清めると神楽殿があり大きくて年中行事では大切に使用されているのがわかります。本殿は南北朝時代の建築風で三間社流造でコケラ茅葺き屋根で品が良く周囲の鎮守の杜と整合されていて自然と人工物が一体化した心地よさを与えてくれます。建築は南北朝時代かも知れませんが、この一体感は自然信仰の時代から、この地はあったのかも知れません。御朱印は神楽殿に置かれていて、300円か200円だったと思います。公共交通機関でも来れますが近くの道の駅に駐車しておとずれるのが良いと思います。
JR野洲駅から、道の駅竜王かがみの里バス停で下車し歩いて数分で到着。木々に囲まれた境内でお参り。義経が中山道を歩き、ここに来たんだと想像し、宮山(御幸山)にも登ったのだろうかと、往古を偲ぶのでありました〜
12月 28日 とがらい祭りが行われ、源義経の偉業を偲ぶ行事があります、牛若丸が奥州に下る途中、ここで泊って元服をした故事を伝えたものだといわれています。御祭神 天日槍尊、配祀神 天津彦根命 天目一箇命。本殿 三間社流造 、拝殿 入母屋造 。本殿、石灯籠、宝篋印塔は国指定重要文化財 。御由緒創祀年代不詳。社伝によると新羅国より天日槍来朝し捧持せる日鏡を山上に納め鏡山と称し其の山裾に於て従者に陶器を造らしめるとあり。天日槍を産土神として崇めたのが当社の起源である。社殿奉建は寛平年間に火災にあうと伝えあり現在の本殿(重文)は室町時代に再建されたものとされている。皇室との関係は大正6年11月特別大演習統監の砌り天皇が当神社境内宮山に行幸その際親拝される。宮山を御幸山と称し記念公園とする。
源義経が元服後に参拝した神社。本殿は国の重要文化財に指定されています。また、宝篋印塔も重要文化財に指定されていますが、こちらは近くの西光寺跡にあります。主祭神はアメノヒボコノミコト(天日槍尊)静かで厳かな雰囲気が漂っています。
源義経ゆかりの神社付近の史跡とあわせてどうぞ。
小さなお社ですが掃除が行き届いた気持ち良いお社です。義経が元服された地有り歴史を感じさせられる神社です。
創祀年代不詳。社伝によると新羅国より天日槍来朝し捧持せる日鏡を山上に納め鏡山と称し其の山裾に於て従者に陶器を造らしめるとあり。天日槍を産土神として崇めたのが当社の起源である。社殿奉建は寛平年間に火災にあうと伝えあり現在の本殿(重文)は室町時代に再建されたものとされている。皇室との関係は大正6年11月特別大演習統監の砌り天皇が当神社境内宮山に行幸その際親拝される。宮山を御幸山と称し記念公園とする。
主祭神は、天日槍尊(アメノヒボコ)。配祀神は、天津彦根神、天目一箇神。神宝の日鏡をこの地に収めたことから名がついた。新羅国の王子とし、ともに技術集団がやってきて、鉄や陶器などの新技術を伝えたとされる。渡来人として、九州、瀬戸内海を抜け、近江を巡ったあと、兵庫県北部の但馬地方にて但馬国一宮出石神社に祀られている。道の駅竜王かがみの里から徒歩1分。滋賀県では、ほかに鉛練比古神社も注目したい。
皆さんが言われているように道の駅に駐車して参拝させていただきました、ただ夕方4時過ぎからの参拝でしたので、戻ってくるとあちこちバリケードで封鎖されていました、5時過ぎには道に近い駐車場には入れないです。近辺にもいろいろ探索するところがありますので時間に余裕を持って行かれるほうがいいと思います。
| 名前 |
鏡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0748-58-0959 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
近くの道の駅に車を停めて歩いて行けました。静かで良い雰囲気でした。源義経ゆかりの地として旗や看板があったり、立て札が綺麗だったりと、聖地が大切にされているように感じて嬉しかったです。社務所?などは開いておらず、御朱印やお守りなどがなかったのは少し寂しかったです。