水口岡山城跡へ手軽に登城!
水口岡山城 本丸跡の特徴
登山口から無料駐車場が近く、整備された道を使って簡単に登城できます。
水口岡山城は1585年に中村一氏によって築城された国の史跡です。
石垣や曲輪、虎口などの遺構が残り、歴史を感じながら散策できます。
城山の南側の無料駐車場から登城しました。途中、案内版も随時設置されておりますので道に迷うことはないと思います登山道は何通りかありますが、整備されており、比較的苦労する事なく登城出来ました。ゆっくり歩いても片道20~30分程度で登城出来ます大手道は結構、急なところもあるので、体力のある場合が下山時に利用するのが良いと思います。頂上は眺めも良く、一部ですが石垣もしっかり残っていました。天守は残っていませんが、イベントの際はバルーン天守が表れるそうです。 一度、見て見たいですね。
夕方頃に着いたが街中にあるためか結構人がいた。豊臣家の譜代により管理されてきた城だが長束正家が切腹して廃城となり城の部材は水口岡山城に使われたため石垣は殆ど残っていない。ただ似たような経緯の佐和山城と比べると遺構はよく残っていた印象。伝天守台が二ヶ所あるがどちらも石垣がないため土が盛られていただけの印象。案内図をみると相当大きい城で沢山の帯曲輪かあるようだが藪で囲まれており見て回るのは難しそうだった。
水口岡山城は国の史跡に指定されています。中村一氏によって築かれ、その後増田長盛⇒長束正家と五奉行クラスが城主をつとめました。長束正家が関ヶ原の戦いで敗れ廃城となりました。水口岡山城は古城山の頂上付近に本丸があった連郭式山城です。麓の駐車場から約30分で本丸跡に到着します。登山道は複数あります。豊臣方の城だったため徹底的に破壊されたのか本丸付近の石垣以外に遺構はそれほど残っていません。街中の近くで軽くハイキング気分で登れる貴重な城跡だと思います。
登山口に駐車場がありますが、北側から山頂近くまで車で行けます。数台止められる駐車場もあります。
水口岡山城は、羽柴秀吉の命により中村一氏が天正13年(1585年)、甲賀郡の支配の拠点として築き、入城しました。その時、平安時代の昔から、都から伊勢国へと通じる街道の要所として栄えていた宿場町水口の原型をつくりました。その後、天正18年(1590年)に増田長盛が、文禄4年(1595年)には長束正家と五奉行を務めた2人が相次いで入城しています。
豊臣方の城があった場所。関ヶ原の戦い後、廃城となり破城となったとあります。石垣の一部が残っているのみです。駐車場は、以前は山の中腹にあったようですが、車止めしてありました。麓からだと20分くらい登って行きます。ずっと上り坂。きちんと整備されてます。ハイキングな感じ。頂上の本丸からの景色はいいです。琵琶湖が見える⁈御城印は、水口地域コミュニティセンターで買えます、
『お城EXPOin甲賀』の流れで、こちらにも。クルマで近くまで行けるはずが、途中で鉄製のアーチ型ガードパイプにより封鎖されていました。城山の登頂部は、曲輪が幾重も連なっていて、大軍勢が駐留できそうな感じ。(水の手はあまりなさそうてすが。)単純防御力はかなり高いと想像されます。天守閣もなく、石垣もほぼありませんが、遺構が明確に残っていて、よいお城だと思います。
南側の駐車場から徒歩30分ぐらいで着きます。ただ、夏場は登城道にまで雑草がはびこっていますので、草が無くなる冬場に行くのが良いかもしれません。本丸への道は初見ではわかりにくいですが(複数ルートがあるみたいですが、雑草が凄過ぎて不明)、メインルートは途中から可愛らしいキャラクターの看板が案内してくれました。本丸付近は夏場でもよく手入れされており、石垣や虎口等がよくわかります。また、ポイントごとに「石垣はあちら」みたいな看板があるので、見落とさないような配慮を感じます。
案内板がわかりにくい。
名前 |
水口岡山城 本丸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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無料駐車場もあり、登山道も整備されてあります。遺構も色々とあって楽しめました。