義経元服の地、歴史を感じる。
源義経の元服の地の特徴
義経が元服した場所に訪れる貴重な体験ができます。
鞍馬山を出た遮那王の歴史的な足跡を辿ることができます。
承安4年の桃の節句に元服が行われた史跡の魅力を感じられます。
義経さんが元服した場所。はるか古の話だから仕方ないし、大河ドラマも昔の話だからなぁ。何となくぱっとこなかった。
源義経が鞍馬山から奥州へ向かう際、ここ鏡の宿で元服したという。その際に使われた水がこの池の水だったそうです。
鞍馬寺を出た遮那王はこの鏡の地で元服をして源義経と名乗り、奥州藤原氏平泉へと向かった。道の駅の道路挟んで反対側。若干大回りだけどちゃんと歩道橋を使おう。
鞍馬寺を出た遮那王はこの鏡の地で元服をして源義経と名乗り、奥州藤原氏平泉へと向かった。道の駅の道路挟んで反対側。若干大回りだけどちゃんと歩道橋を使おう。近くに平宗盛父子が源義経に処刑された平家終焉の地がある。
遮那王は僧になることを拒否して鞍馬寺を出奔し、承安4年(1174年)3月3日桃の節句(上巳)に鏡の宿に泊まって自らの手で元服を行い、奥州藤原氏宗主で鎮守府将軍の藤原秀衡を頼って平泉に下った。秀衡の舅で政治顧問であった藤原基成は一条長成の従兄弟の子で、その伝をたどった可能性が高い。 『平治物語』では近江国蒲生郡鏡の宿で元服したとする。『義経記』では父義朝の最期の地でもある尾張国にて元服し、源氏ゆかりの通字である「義」の字と、初代経基王の「経」の字を以って実名を義経としたという。
承安4年(1174年)、鞍馬山を脱出した牛若丸は、現在の滋賀県竜王町の 時の長者「沢弥傳」の屋敷に泊まり、その夜、元服することを決意しました。 この池の水を用いて元服した牛若は以後、源義経と名乗るようになりました。
車では通り過ぎて気づかないです。山っぽくなって夜は暗い道です。有名なところ、見所?、ではないと思うけど。
道の駅から陸橋を渡って左側。元服時の絵画が道の駅にあって、イメージしやすいです。
奈良朝以前からの古駅である。
| 名前 |
源義経の元服の地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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義経ゆかりの地ということで訪れました。池を覗くと、5月下旬という季節がら、オタマジャクシが数匹跳ねて、青もみじが美しい。「義経記」では、元服した場所は熱田神宮であるが、その前に池で身を清めた?場所がここ。義経の元服は、そんな季節を感じる余裕すらなかったであろう…と、交通量の多いトラックなどの車両を眺めては、平家の追尾…と妄想し、歴史を重ねるのでありました〜