相馬中村神社で桜と古城探索!
相馬神社の特徴
相馬中村城址の本丸に創建された神社です。
境内には春に咲く美しい桜の木が沢山あります。
眼下に相馬市内が見渡せる高台に位置しています。
相馬中村神社の社伝によると今から一千余年前937年、相馬家先祖、平将門が下総国猿島郡という所に妙見社創建して戦勝を祈願、国家安泰、国民諸行の繁栄を祈念したことに始まる。その後下総の相馬郡に社殿を建てたと伝えた後1323年、師常より六世の孫相馬孫五郎重胤公が、鎌倉から初めて奥州行方郡に移ると同時に妙見祠を移し、1332年小高に築城して移るとき神社も移されたとあります。さらに1611年相馬利胤公が相馬中村に城を移したとき妙見神社も中村城内へ移されました。これが現在の相馬中村神社です。相馬中村神社は、相馬家代々の氏神として崇敬されてきたばかりでなく、相馬地方の総鎮守として中村城郭内の西にある小高い丘に建っています。御祭神も天之御中主神様と宇宙の根源。相馬の発展がわかる気がします。
雨の日に訪れましたが、咲き始めた桜が綺麗でした。御朱印をいただき参拝して戻る時に見える景色もいい感じです😄元々は相馬氏の中村城本丸があったようで、周辺も公園になっています。4月3日から桜祭りがあるようで、晴天のなか満開の桜を見たら最高だろうなーと思いました👍
相馬中村城にある神社。東日本大震災など地震の影響で境内が荒れている。灯篭も倒れてしまってそのままになっていました。神社の看板に日本百名城と自称しているのが痛いです。
2023年8月19日に参拝しました。明治12年1879年に相馬氏の始祖である相馬師常(もろつね)を御祭神として創建されました。相馬氏は、平将門の末裔と伝えられています。代々下総国(現在の千葉県)相馬郡一帯を領地としていた氏族です。文治5年1189年に源頼朝の奥州合戦に父である千葉常胤(つねたね)と共に従軍し、その戦功により、福島県の相馬地方を賜りました。6代相馬重胤(しげたね)は、千葉の流山から当地相馬へ移り住みました。16代相馬義胤(よしたね)は、上杉景勝に味方し、関ヶ原合戦へは参加しなかったため、一時領地を没収されてしまいます。17代相馬利胤(としたね)の時に本領を安堵され、以後、明治維新まで続きました。神社の境内が、中村城の本丸に当たります。
相馬中村城址の本丸にあります。地震の傷跡がまだ残っています。
福島県相馬市中村地区の中村城本丸跡に明治12年に相馬氏の始祖・師常を御祭神として創建された神社です。城内には高さ2.5m枝張り14mの推定約400年の藤棚があり、5月上旬頃とても綺麗に咲き誇ります。昨年の震度6強の地震の影響で手水舎や石標が崩れたままになっていました。
相馬神社 中村城跡地です掘りがあり城壁もあります。やはり相馬野馬追馬の銅像ですね。
天気が良く秋晴れの11月中旬に参拝させて頂きました。東側から登りましたが、石段に気を付けて登ってください。西側の中村神社側からは、なだらかな登りです。時期的に七五三のお参りのご家族もおられました。近くの高校からは、吹奏楽部の練習音が心地良く聞こえておりました。高台にある社殿や境内は、日当たりも良く、明るく綺麗に整備されております。社務所では、御朱印も頂けるようです。良き日に参拝させて頂きました。また、良き日にご参拝させて頂きます。
城跡に神社様、飼い猫⁉️社務所横に猫と遊んで癒されました。
名前 |
相馬神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0244-35-3362 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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曇天の平日、中村社とセットで詣でました。城趾であるので、行くまでの道程も楽しめました。相馬氏、元は下総国だったんですね!茨城の千葉との境目あたりに北相馬郡って、なんでこんな所に?って疑問が晴れました。特別調べた事もなかったもんで‥参道は、コンクリートで整備され歩きやすいですね。掲示はしてませんが、社務所で御朱印頂けます。直書きでした。