美しい可愛川と木村川の絶景、五龍城へ。
五龍城は可愛川(江の川)と木村川の合流地点に突き出た半島状の丘の上に築かれた山城です。南北が川と断崖に守られておりは天然の要害となっています。城内は特に搦手である西側からの攻撃に備えられている印象です。入口は少しわかりにくいですが甲田小学校方面から五龍橋を渡ってすぐの場所に駐車スペースがあります。そこから尾崎丸に登ることができます。五龍城は典型的な連郭式の山城で尾根に沿って郭が並んでいますが、大きく3つのブロックに分かれています。①尾崎丸〜櫓の壇尾崎丸には神社があり、そこから櫓の壇まで郭が続きます。櫓の壇は土塁があり、その先は空堀と土橋で区切られています。②一位の段〜本丸五龍城の主要部でこのブロックには石垣が現存しています。本丸は下部を石垣で補強した高土塁(腰巻土塁)があり、背後の堀切から高さは16mにも及びます。西側から本丸には簡単には進めない仕組みになっています。また、各郭の段差も大きく移動しにくい印象です。③大堀切〜足軽の段このブロックは整備がそれほど行き届いていません。五龍城の最高地点の御笠丸にも石垣が確認できます。御笠丸も背後に土塁が設けられそこから二重堀切で仕切られています。その先が足軽の段でここには井戸(池)の跡があります。五龍城は比高は130m程度なので登山口からすぐに城域に到達しますが、城内の移動は大変ハードです。土壌が粘土質で前日が大雨だったため大変滑りやすくトレッキングポールを使いながらでも何度も転倒しました。南北の絶壁、西側に対する堀切や高土塁など防御遺構に工夫が感じられる素晴らしい山城でした。五龍城は国人領主宍戸氏の本拠地で戦国時代には毛利元就と衝突しました。毛利元就もこの五龍城を落とすことはできず、婚姻により和睦となります。その後、宍戸氏は毛利氏の重臣となりました。宍戸氏は毛利氏の転封により萩へと移り、五龍城は廃城となりました。
名前 |
五龍城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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ちゃんと管理されていないので廃れていくでしょう。カッコいい名前の城なのに勿体ない。