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御祭神は、袁邪本王 狭穂彦王 狭穂比咩命。創祀年代は詳かでないが式内軽野神社であるといういい伝えがある。往古開化天皇の御孫袁邪本王この郷に下り給いその薨去後御殿跡に祠を建て産土神としたとも伝えられている。明治15年村社に列す。社殿の約20m西方、周囲よりわずかに盛り上がった場所に石造宝塔が立っている。02_19 基礎は失われ、やや細長い不整形な自然石の平坦面の上に載せてある。思ったより大きいもので、基礎を失ってなお目測で高さ2m余。元は8尺ないし8尺半塔であったと推定される。花崗岩製。塔身は軸部、縁板(框座)、匂欄部を兼ねた首部を一石彫成している。軸部は若干胴張りぎみの円筒形で上下端を鉢巻状に彫り残し、側面中央の扉型を四方に細い陽刻帯で彫成している。