鯰江城跡で感じる戦国時代。
鯰江城跡の特徴
鯰江城跡には鯰江氏の歴史を感じる石碑と立て札があります。
織田軍柴田勝家との関連がある歴史的な場所で fascinates ます。
周辺の住宅街に埋もれた戦国の名残を体験できる場所です。
鯰江城跡鯰江城は滋賀県東近江市鯰江町にあった城で同地を本拠とした鯰江氏の居城でした。鯰江氏は六角氏に属して勢力を伸ばしていましたが、永禄11年(1568年)に観音寺城の戦いで六角氏の居城である観音寺城が落城したため、城主の鯰江貞景は甲賀郡に逃げていた六角義賢・義治父子を迎え入れ、主家復興のため織田信長に反抗を企てました。貞景は鯰江城に空濠の増設・土塁の増強を含む改修を施し、百済寺の僧や一向宗と結び籠城しましたが、天正元年(1573年)9月、織田家の佐久間・蒲生・丹羽・柴田氏らによって周囲に井元城・中戸城等の城砦を築いて鯰江城を攻撃され、落城しました。現在は、土塁の一部や石碑が残るのみであり、城跡は住宅地となっています。
石碑と立て札のあるところだけ行きましたが上の住宅街が城跡のようです。駐車場はありません。
石碑と説明板があります。その横に、鯰江住宅案内図なるものがあって、フルネームで住宅地図が表示されています。鯰江さんが多いのは分かるのですが、今の時代、これでよいのか?!と。県道からは一段高いこの集落の中は入り組んでいるうえに道が狭い。(住宅案内図は90°で整理されているけど、そんなことはありません。)濠はないけど、惣構えの城?集落だったんだろうな。
この石碑、説明板の上が城跡だそうです。 土塁や石垣も残っているらしいけど住宅地なのであまり見て廻るのは難しいそう。城跡周辺には鯰江さんがいっぱい住んでいるとの事、今もこの地を護られているんですね。
【織田軍柴田勝家、鯰江氏に関連あり】貞景は鯰江城に空濠の増設・土塁の増強を含む改修を施し、百済寺の僧や一向宗と結び籠城したが、天正元年(1573年)9月、柴田勝家らの軍勢によって落城した。鯰江城落城後、鯰江氏は全国へ散り各大名に仕えたが、貞景の子・定春は豊臣秀吉に従い、大阪に鯰江の地名を残している。
周辺に駐車場がなくてゆっくりできませんでしたが、ここにお城があったのだなぁというのは感じることが出来ました。周辺には「鯰江さん」や「城さん」という苗字のお宅が多いのも、もしかするとお城の名残なのでしょうか。
交差点に石碑と説明板があった。その上は..民家.(^o^;)遺構を見に行きにくいあるある..普通の人には「何も無い」って言われそうなトコだったよん。
城跡がわかりずらい。標識の設置が必要。
石碑、案内板のみ。
| 名前 |
鯰江城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
〒527-0172 滋賀県東近江市鯰江町1296 鯰江町自治会館 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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たまたま道を聞いた人が鯰江城跡🏯を研究されていて研究資料を詳しく説明されて大変勉強になりました。ありがとうございました。