美しい田村川と神秘的な境内。
田村神社の特徴
坂上田村麻呂を主祭神とする、由緒ある神社です。
道の駅向かいに位置し、アクセスが良好な立地です。
冬の厄払い祭りで有名な、地元民に愛される神社です。
とても綺麗に手入れしてある神社でした。初訪問した1月1日のお昼頃は凄い人で1人で行ったので並ぶのは心が折れてしまい断念。3日の早朝にツレと行くとガラガラでとても気持ちよく参拝する事ができました。厄除けで有名な神社なので色々な御守りも売っていて、とても活気のある神社でした。
今日 滋賀県に住み初めて 田村神社に行って来ました 七五三のお子さんが居て 可愛かったですよ 神内は 静かで 綺麗に整備され 神秘的な 空間になってます 駐車場も 沢山あり お正月には こちらに来ようと思います 駐車場は 神殿近くまで行けるので お年寄りは 奥まで行かれたほうが宜しいのでは😆
訪問した日は、夏が戻ったような暑い日でした。青空が綺麗で、雲は秋を思わせるもの。厄除けの御参りも済ませることができました。今度はお祭りの時に訪れたいです。
道の駅あいの土山のすぐ向かい側にあるのが王国民の聖地の1つ、田村神社です。ここはリアルに全国からゆかりんの公式うさパペットとともに訪れる王国民も多くいます。メロンカルピス片手にめろ~んと訪れてみました。この鳥居や石碑もこれまで何人の王国民の姿を見てきているのでしょうか。
神前結婚式を撮影するカメラマンとして伺いました。まず目につくのは広い境内にある豊かな自然です。まるで森林浴に来たかのような綺麗に手入れされている林が心を清めてくれました。そして、その林の中には朱色の橋があったり、そして参道のどこを歩いていても写真写りの良い場所がたくさんあり、カメラマンならテンションが上がるような場所です。また、境内に接する田村川の方まで行っても、とても綺麗に整備されているので、そこにいるだけで気持ちがいい神社です。新郎さん、花嫁さん、親族の皆さんの着替えや着付け、ヘアメイクは神社の部屋で行います。その部屋もとても広く、たくさんの方が同時に来られても十分な広さがありました。結婚式が行われる拝殿の中は、広くて明るいです。田舎の氏神様の神社にありがちな、古く、暗く、狭いとはまるっきり逆で、とても気持ちよく結婚式を行う事ができると思います。
国道1号を挟んで向かいの道の駅に駐車し、陸橋を渡って境内に行けます。拝殿まで四つの鳥居をくぐる広大な神域、凛とした空気が張りつめます。拝殿手前にトイレあり。鈴鹿峠が近いですが、坂上田村麻呂や、蟹が坂で人食い蟹を退治されたという恵信僧都の話があるなど古くから開けた土地です。
坂上田村麻呂を主祭神とする、けっこう広大な境内を持つ神社です。境内の中を東海道が通っています。ちょうど万灯祭の時に参拝しましたが、すごい数の灯篭でした。神社西側に広い駐車場があります。
駐車場は国道から見て神社の左側の道沿いにあります。国道の向かいは、道の駅あいの土山があります。神社の中央あたりに旧の東海道が通っています。神社に沿っている田村川が東海道五十三次の浮世絵にも書かれているそうです。境内にトイレもあります。
道の駅の向かいにある神社。散歩がてらにちょうど良い距離。木々に覆われた自然豊かな癒される場所です。厄除けでも有名、厄落とし福豆とゆうものがあり自分の歳の数だけ川に豆を流す習わしがあるようです。社務所にて福豆販売しております。御祭神は坂上田村麻呂/嵯峨天皇/倭姫命御朱印・駐車場有り。
名前 |
田村神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0748-66-0018 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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真田戦記田村神社滋賀県甲賀市土山町北土山469主祭神 坂上田村麻呂公 嵯峨天皇 倭姫命平安時代、坂上田村麻呂は嵯峨天皇に鈴鹿峠の悪鬼を平定するよう命じられ、たちまち悪鬼を平定しました。田村麻呂は残っていた矢を放って「この矢の功徳で万民の災いを防ごう。矢の落ちたところに自分を祀りなさい」と言い、矢の落ちたところに本殿を建てさせたとされています。田村麻呂が亡くなった弘仁2年(811年)の翌年、弘仁3年(812年)に、嵯峨天皇の勅によって坂上田村麻呂をまつる祭壇が鈴鹿峠の二子の峰に設けられました。同年、この近辺で疫病が発生したために嵯峨天皇の勅命によって当社で厄除の大祈祷が行われました。これにより当社は厄除の神として崇敬されるようになります。また、田村麻呂が鈴鹿峠の悪鬼を討伐して交通を安全にしたことにより、交通安全の神としても崇敬されるようになりました。1872年(明治5年)には高座神社とし、1887年(明治20年)4月6日に許可を受けて田村神社と改称しました。征夷大将軍 坂上田村麻呂と鈴鹿の鬼退治伝説伊勢国鈴鹿で暴れまわっていた大嶽丸という鬼の王がいました。帝は坂上田村麻呂に3万の兵を託し討伐に向かわせます。神通力を操る大嶽丸は、峠を暗雲で覆い、暴風雨、雷、火の粉などを振らせて田村麻呂は苦戦します。田村麻呂は、毘沙門天と千手観音に祈ると「神通の鏑矢」を授かり「鈴鹿御前に助言を求めよ」というお告げを受けました。鈴鹿御前とは鈴鹿山に住む天女で以前から大嶽丸が求婚を迫っているという美女でした。鈴鹿御前を探して一人で鈴鹿山に入った坂上田村麻呂の元に一人の美女が現れて館に誘われます。この美女が鈴鹿御前で坂上田村麻呂と協力して大嶽丸を倒してくれるとのことです。鈴鹿御前が言うのは、大嶽丸は3つの宝剣に守られているため、それがあるうちは倒すことは不可能だそうです。ただし今、1本は天竺にあり、残りの2本だけが大嶽丸の手元にあるため、鈴鹿御前に油断している大嶽丸を騙して宝剣を奪ってくるので、その隙に倒してくださいと告げます。鈴鹿御前の策略が成功し宝剣2本を奪うことになります。田村麻呂は「神通の鏑矢」を放ち大嶽丸の首を刎ねることに成功します。しかし、黄泉の国にいた大嶽丸は残りの宝剣の力により蘇ります。大嶽丸は蝦夷の悪路王の元に身を寄せ田村麻呂に戦いを挑みます。毘沙門天の加護を受けた田村麻呂は完全に大嶽丸の息の根を止め、再び復活しないよう「宇治・平等院」にその遺骸を封印しました。まさに神話の世界です。