自然に囲まれた弥尼布理神社。
彌尼布理神社の特徴
自然豊かな林に囲まれ、落ち着ける空間を提供する神社です。
参道が素晴らしく、木々に囲まれた雰囲気が楽しめます。
306号線から左手に見える鳥居が目印となるアクセスの良い場所です。
最初の坂道は少しキツかったです結構歩いた気がしますが自然がいっぱいって感じで素敵な場所でした💕🫶歩いているとところどころからカサッって音がしますが安心してください✋😎トカゲが逃げていく音です🦎
道の駅河芸から東に見えるこんもりした林が黄緑色に染まっていたので、観光案内のおじいさんに聞くと、あれはシイノキで、いねふりさんという神社があると言う。雨の日だったが行ってみると、参道はよく整備されていて、神社までは少し山を登るがたやすく行ける。参道や境内の樹木が素晴らしい。「彌尼布理」と書いて「いねふり」と読むらしいが、れっきとした式内社だし、かなり歴史はあるようだ。境内の小さな石碑には「山神」とも書かれている。
彌尼布理神社(≧▽≦)
落ち着ける空間です。
前はたまに通ります。
前を通る道のポケットではたこ焼きのキッチンカーが出ていることがあります。
自然豊かな山の上にある小さな神社です。
式内社 伊勢国安芸郡 弥尼布理神社 (みにふりじんじゃ)祭神 倉稻魂命配祀 誉田別命 大年命 石凝姥命 木花佐久夜姫命 金山彦命 迦具土命 大山祇命 菅原道真 天之児屋根命平城天皇大同元年(806)東海道観察使により創建された。
306号線とバイパスの交差点を過ぎたら左側に鳥居が見えてきます参道が素晴らしかったです、木々に囲まれて雰囲気がありました駐車場は鳥居近くに駐車スペースありです。
| 名前 |
彌尼布理神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=2881 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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弥尼布理神社(みねふりじんじゃ)。三重県安芸郡河芸町大字北黒田。式内社(小)、旧郷社。通称は「いねふりさん」。主祭神:倉稻魂命(配祀)誉田別命 大年命 石凝姥命 木花佐久夜姫命 金山彦命 迦具土命大山祇命 菅原道真 天之児屋根命資料によると、社頭案内には、大同元年(806年)六月に東海道観察使により創建されたとあります。創建以来五十年毎に造営・祭礼が行われ、その度に五穀豊穣し、住民は窮乏や悪疫から免れたと。通称「いねふりさん」であり、ご祭神は倉稲魂命。原始の「稲降り」が「彌尼布理」に転訛したものと思われます。文治・建久のころ平賀朝雅社領寄進。康元元年見雲五郎が近江より来て当社に奉祀し、その後見振と称して代々禰宜となった。元亀3には稲振大明神と称していた。江戸初期に稻降神一社、春日八幡一社、ひじりの宮一社の三社があり。文禄の検地によつて供田没収されて以後は荒廃をつづけたが、正保2年(1645)に藩主藤堂高次の田地寄進によつて社頭は修補された。明治12年(1879年)、社殿が造営された。その際、瑞垣内に、早生・中生・晩生・もちの四種の稲が自生したと伝わる。この自生した稲について、人々は神の瑞穂として大切にし、広く県内各地へも分配した、と記されている霊験記念碑が境内に立っている。とあります。参考として、東海道観察使については、桓武天皇の御代、国司の過剰な税徴収など地方政治が腐敗。それが原因で国司の前任者と後任者との間で紛争も起こっていました。そこで天皇は延暦十六年(797年)頃に「勘解由使」を設置。これは地方政治を監査・監督する令外官。そして政治一新を図る次代の平城天皇は、大同元年(806年)に「勘解由使」を廃止し、東山道を除く六道に「観察使」を設置しました。当社創建はこれに因むものと思われます。とあります。