鍛冶橋跡、東京の歴史を感じる。
鍛冶橋門跡の特徴
江戸城外郭門跡の鍛治橋跡が興味深いです。
交差点脇の看板がひっそりと佇んでいます。
東京の真ん中に位置する歴史的なスポットです。
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交差点の脇に看板がポツンとあるだけです誰も足を止める事なく過ぎて行きます…東京のド真ん中なので仕方無いのだが…
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| 名前 |
鍛冶橋門跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
|
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江戸城外郭門のひとつ鍛冶橋御門があったとされる場所に「鍛治橋跡」の案内板が掲げられています。案内板には次のようなことが書かれています。鍛冶橋門は、1629年(寛永6年)に築造されました。門に附属する鍛冶橋は、現在の丸の内二、三丁目と中央区の八重洲六丁目を結んでいました。名称は、外堀の門外の町名が南鍛冶町(現在の中央区八重洲二丁目・京橋二丁目)であったことに由来します。また、江戸時代初期、御用絵師の狩野探幽の屋敷がありました。門内には大名屋敷が立ち並び、幕末には、津山藩(現在の岡山県)松平家、土佐藩(現在の高知県)山内家が付近に上屋敷を設けていました。1873年(明治6年)に鍛冶橋門は桝形石垣を残して撤去されました。橋は、1876年(明治9年)にアーチ橋として再建されましたが、終戦後の瓦礫処理で外堀が埋め立てられた際に、橋も姿を消しました。現在は「鍛冶橋架道橋」「鍛冶橋交差点」にその名前が残っています。