千国街道で学ぶ塩の道の歴史。
千国の庄史料館の特徴
千国街道と塩の道の歴史を学ぶことができる資料館です。
松本藩が設けた番所跡に位置する貴重なスポットです。
塩の駅の歴史についても興味深く知ることができます。
この日に初めて千国街道(松本⇔糸魚川)という塩の道がある事を知りました。千国街道を80キロもの荷物を背負って20キロも歩いた昔の人は凄いなぁと思いました。こういう事をなかなか教えて貰えないので、見学させれもらって良かったです✨資料館は目の前に見えるのだけかと思ったら、その中を通り抜けた先に更に大きな建物があり、その他に塩の道だけあって塩蔵もありました。敷地が奥に広く、キチンと残されてる感じです。奥にある建物の中に入ってみました。古い雛段飾りが2箇所にあります。片方は松本押絵雛とのことです。2階にはお蚕さんの道具が置かれていて、母の家にも昔あったと聞いてはいたのですが、こんなに大きな物があの大家族の家のどこにあったのか…。昔の人の生活に興味が湧いてきました。色々知れて良かったです♬
千国街道にある松本藩が設けた番所跡に建てられた資料館。千国番所の他、昔の家屋を移築公開し当時の生活を知る事ができる。
千国の集落の中心部に地区の庄史料館と番所跡があります。下の写真の場所の奥に口留番所跡(建物)が保存されています。口留番所とは、江戸時代の幕藩体制のもとで、各藩が領国の境界や要衝に設けた監視や規制のための役所出先機関で、交通や物流(人の動き)の監視や関銭(関税)の徴収をおこなっていました。武家諸法度で幕府は――各藩の主権を制限し幕府による統制を受容させるため――各藩による関所の設置を禁じていました。が、各藩は人の動きや物流・交通の監視や関税の徴収など統治の都合上、関所ではなく口留番所を設置していました。千国街道は、参覲交代の大名が通行することがなく、また幕府の公用旅行者がめったに通らなかったので、大名や幕府役人を宿泊させるための本陣や貨客継立てのための問屋などは置かれませんでした。ということは、本陣や問屋などを核とする宿駅制度のない街道だったということになりそうです。そうなったのは、大地溝帯の地割れに集まった水流としての姫川が穿った峡谷に沿った街道は難所続きで、しかも北国街道よりも冬場の積雪が多かったため、旅行に日数がかかったからです。それでも日本海沿岸から松本などの内陸部に特産物を運ぶ経路として利用されました。とはいえ、この街道は一年のうち約半年は雪におおわれました。冬場には物資の運搬を担ったのは、歩荷(ぼっか)と呼ばれる人びとで、自ら荷物を背負って街道を歩いて運びました。ことに塩の運搬では、彼らはひとり一俵ずつ背負い、数人の仲間を組んで厳しい山越えに挑みました。雪が消えると、牛方たちが牛一頭の背に塩2俵ずつ積んで、山や谷を越えて運搬しました。熟練した牛方たちは、一人で5、6頭の牛を引き連れて峠越えをしたといわれています。
◆令和3年10月初訪問温泉旅の途中に時間調整のため、朝9時のオープンに立ち寄りました。料金は300円。3館共通券もあるようですが、お湯を求めた旅なので、コチラだけの見学に。復元関所と資料館の構成で資料館にある切り絵が素敵でした。
千国街道、塩の道の歴史と千国番所の復元と共に学ぶ事が出来る場所です。
| 名前 |
千国の庄史料館 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0261-82-2536 |
| HP |
https://www.vill.otari.nagano.jp/kanko/looking/chikuninoshou/index.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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国道から少し車で行かないといけませんが、塩の駅の歴史などが学べます。入場料は300えんですが、500円払うと他施設(牛久宿、小谷村資料館)も見られる共通券にグレードアップできます。